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一周忌

2月7日で1年。

なんとか生き延びた。

現実離れしているような、なんともいえない1年がすぎた。

朝はコーヒーとフレンチトーストを奉った。

写真の彼はいつも微笑んでる。

生きていたころの彼も笑顔を絶やさない人だった。


夕方に数人の友達と集まり、適当な手作りピザとモダン焼き。オーガニックの赤ワイン。
彼の好きなもの。でも気を使わない簡単な集まり。おしゃべりと食事であっというまに時間がすぎる。

この1年もあっというまだったかもしれない。


子どもがまだ小さくて、自分が癌をしょっていることである意味において、彼の不在を考えなくてもなんとかやっていけたのだろうか。


でも、この日彼のことを考え出すときりがないと思った。

思い出を思い出さなくてもいいんだって、あのときのショックの感情をまた自分のなかに再現しないほうがいいんだって、だからやっていけるんだって。

また1日1日とやっていこう。

# by mi-chanlucalu | 2013-02-10 03:04 | 生きること

快挙?

雨で灰色な日曜日の始まりはレーズンスコーンを作ることから。

いつもはストーブの火つけからなんだけど、最近買ったファイアーウッドたちがどうもまだちゃんと乾いていない切って間もない木で燃えが物凄く悪く、煙ばっかりで家中煙っぽいのがつくづくいやになって火をつけるのを完全に諦めた。注文したときに「今いる」からと言ったのにこういうのを売りつけられた。女一人だとどうもなめられる傾向にあるんだなぁとつくづく気分を害した。

ただいまさら電話で文句言ってもなんにもならんだろうなぁ。お金も払ったし。ぶつぶつ。


金曜の夕方に戻ろう。


子どもをプールへ連れて行った。

これは、私の今までのなかでかなり「快挙」な行動だった。それも思いつきで夕飯の後はプール行くなんていったい私に何が起こったのか。

子どもたちは7歳だから親が近くにいなくてもいい歳まで実は後9ヶ月あるのだけど、プールでかなり彼らをほってサウナとかスチームルームにいたのでかなりご機嫌。そのうえ私に何が起こったのか子どもたちとあの長い滑り台までしてしまった。

すべり出した瞬間、やばい、どういう姿勢で降りようかと思うまもなくかなり苦しい姿勢ですべっていったので、首とか肩の力を抜いて思いっきり仰向けに寝転んで降りた。水に流されるまま・・・・。


そしたら、なんの痛みもなく流され降りて無事すべり終えた。 快挙!

こどもと何度か波のプールでも遊んだし、子どもたちはものすごく楽しんだし、とってもよい金曜の夜の過ごし方だったと思う。

自分がぐんぐんよくなっていっているような気がする。

今までやっていたことをかなり捨てたのがよかったのか、とにかく楽しい。からだの痛みも減っている。実際に。
どう表現するのが適当なのかは分からないけど、痛みがあってもそんなに苦でなくなった。何か自分のなかで
どんどん治っているような気がするのだ。

マリファナオイルにただ身を任せ、後は楽しむ。他の事はいちいち深く考えずに、食事も楽しくこどもや友達とともにいただいて、制限をあまりしないようにした。

ミニトランポリンを毎日して、ふとももが筋肉痛。これは久しぶりの違う痛さ。気持ちいい。

イメージ療法、呼吸は毎日欠かさないようにしている。そこででてきた歌がドリカムの
「未来予想図ll」と「うれし楽しい大好き」だった。あんまりにも今の自分にあっているので一日何度もかけて大声で歌っている。もちろんこれは恋の歌で私は恋をしているわけではないけどね。

未来予想図のようにイメージ療法では私は未来にどんな自分になりたいかを思い浮かべながら深く呼吸をする。

人は誰でもなりたい自分になれるんだ。

私は痛みのない自分がみらとトランポリンをしているところをよく想像する。
大またで歩きならが大声で笑っている自分を想像する。

笑うことが好きだし(嫌いな人いる?)笑わせることも好き。昨日は友達のsさんから久々に漫画を借りてきてお風呂で読みながら大笑い。実はこのとき寝る前用にとったオイルがかなり効き始めていたんだけど、この本のおかげ、笑いのおかげで全然ぐらぐらくることも眠くなることもなくお風呂からあがった。

オイルをとって力が抜いてぽわ~んとなっているときに笑うとさらに気持ちがいい。いつもはただ眠いのだけど、お昼とかもなるべく人と会って眠らないようにしている。

もちろん、お風呂の後は刺絡をしながら「水曜どうでしょう」を見てその後ぐっすり眠った。

「水曜どうでしょう」を見ながらミニトランポリンをするのも日課のひとつ、たのし治療のひとつだ。

先週から鍼灸治療も週2回から週1回に戻したのも気が楽になったし、なんだか転移した進行癌のある人のなかではかなりハッピーなやつになってしまった。今はもう癌センターなんて行きたくないし、ちょっとのま忘れたいから検査もしたくない。

だってハッピーなんだもん。すべてはうまくいっているんだね。

# by mi-chanlucalu | 2013-01-27 03:18 | 乳がんをめぐる

助けること、助けられること 一緒に食べることの大切さ

オステオパシーの名医である故フルフォード博士の本によると、自分が生まれた時間というのがもっともその人々のエネルギーが高い時間らしい。朝生まれの私はやっぱり朝に色々やっときたいと思うし、朝が好きだ。
ちなみに夜生まれなのに一生懸命朝型人間になろうとしないほうがいいということでもある。

昨日はお昼ねを少しオイルの効き目に任せてしてしまったので起きた後もなかなかすっきりせずに夕方までなんとなくそのだるさ、眠気をひきずり、9時過ぎには子どもと早々に寝てしまった。が、朝まで眠れるはずはなくトイレに2度おきて、さらに5時過ぎにはやっぱり完全におきてしまった。

マリファナオイルを摂取していて一番の副作用は眠気。この眠気はかなり意識が遠のく感じになるのでそれに任せて寝てしまっていいのが夜なんだけど、やっぱり昼間から寝てばかりもねぇ~。
ということで量を調整しながらの毎日。今のところなんとかまあやれている。

こないだの記事でレストランのあと痛みがなかったのは、後で思い出したけど痛み止めを行く前にとったのでそれがちょうど効いた時間だったのかぁとも思った。ま、でもるんるん気分になれるのであればなんだって~って感じなので利用できるからだにそんなに害のないものはとっている。

おいしいお菓子とかも食べすぎなければ、そしてるんるん気分で食べればいんじゃないかぁ~。

またまた前回の記事で「私の病気、夫の死などによって助けてくれている周りの人の振動をあげている」と書いたけど、実はこれを文にしてもいいかなって思ったのは2冊の本にそう書いてあったからだ。
ひとつはサイモントン療法でもうひとつは地球人革命

癌治療においての心理療法とイメージ療法などこころに焦点をあてたのがサイモントン療法で、かたやドクタードルフィンと名乗るお医者さんが書いた本もやはり治療においてのこころの持ち方の大切さを語っている。

助ける、助けられるのは一方的な利益=助けられ側だけが恩恵をこうむってるのではなく、たすける側にも学びや得るものはあるというもの。今助けられている私は助けられることや感謝の気持ちなどを学んでいるけど、助けてくれる人もそれぞれに学んでいるものがあるのだろう。もちろん各人の考え方次第なのだけど、私の感じる限り助けてくれている人たちは「助ける」行為に喜びを抱いてくれているようである。

本当にありがたい・・・・。ありがとう!

ちなみに韓国の次はインド料理を満喫したのは月曜で、ちょっと私に珍しく食べすぎでその夜はなかなか眠れなかった。気をつけよう。しかし「食べる」という行為においては、やはり誰かと楽しくおいしく食べたほうが絶対わくわく度、ルンルン度はあがる。私が作るお惣菜のようなものは子どもたちは食べないので、子どもと食べていても同じものをシェアして食べていない。でもこないだのように友達と食べるとおいしささえアップする。ここで食べるという行為の「一緒に食べる」大切さを思い知らされたので、これからはじゃんじゃん友人と食べたい。

読んでいる近郊の人たち、一緒に食べましょう!!

# by mi-chanlucalu | 2013-01-23 03:07 | 乳がんをめぐる

オイル治療 Day 5 そんなこんなでこれからは・・・

放射線のダメージから復帰。
私の親友のはからいもあり、ヴィクトリアでマリファナオイルで末期のがんが治った人と会い、彼女の紹介でいわゆる「オイルメーカー」にコンタクトをとり、治療のためのオイル購入。
私とその友人Nさんは私たちのオイルは作り方に問題があったので、以前にあったような私の症状がでたのではないかという疑いもあり、一応信用できそうなリソースからの(マリファナオイルの治療効果をビデオにして広めたリックシンプソンとも知り合いというオイルメーカーだし)質のいいもので

再マリファナオイル治療 開始!!!

で今日が5日目です。

また新規気分を新たに少量から始めているので大丈夫。そして今回のプロからのオイルはやっぱり味が違う。一番初めはフリーのオイルだった。実はこれも結構長く取っていたけど、どうも匂いからして全然ピュアなエッセンシャルオイルではなかった。ま、このオイルの信憑性は確かに私のなかで低かったけど。やはり・・・かだったね。

そしてこのあいだの土曜に試した「ボディートーク」!!
なんか分からんけどよかったね。潜在意識によびかけるヒーリング法なのだけど、なんかいろいろリリースしてもらってすっきりしたのだと思う。

次の日、日曜に友達カップルとみんなでものすごーく食べたくなったビビンパを食べに韓国料理レストランへ。
あったかいほっとポットビビンパを食べ、いったことのないレストランでテンションアップ!

なんとそのレストランを出た後いつも感じる痛みが全くなく大またで横断歩道を歩く私を見て、みらは
「ママ、ほんとう?ほんとうにいたくない?なおったの?」とつっこむ。

でも帰りの車で「まま、なおったの? それToo Fastだよ。」って・・・。

え????治ったらドラマが終わるか?もっと痛いエピソードして視聴者の同情をかわないと?

いや、いやもちろん痛くなかったのはそのときだけで今朝から痛いところは痛いんだけど気にならない。

前よりまし!!

そのうえ、最近はまっている「水曜どうでしょう」を96年の始まりから見始めているので気分はいつもかなりハイ。
ついでにしゃべり方もトーク番組ぽくなってしまっている。
友人Nがオイルのせいか?と聞いていたけど、私のとっているオイルは量を増やせば眠るしかないっていう具合な種類の大麻でやっているのでハイになるはずはなく、やっぱりボディートークでもいろいろリリースしてもらって気づきもあったのだろうと思う。

そいでおいしいとこころから喜び、それを一緒に分け合う友がいて、るんるん、わくわくになったのだろうと思う。なんかいろいろやっていたこととか、みんなの助けとかあって、最近の気づきのなかで、前々から思っていたことが多分実際そうなんだろうな、って思えることがかなりの私のなかで確実になってきたので、まあこれでいいやんって感じなのだ。

そのひとつに私がこんな状態=だんなの急死、癌転移発覚。子どもがまだ7歳で海外に暮らし、両親既に死亡
ということはどうしても周りの人に「たすけてあげたい」という気持ちを引き起こしたわけで、実は私がこんな状態であることで回りの人の「人助け」のこころを育て、実行に移すという目に見えない各人の振動(波動)をあげていたのだということ。つまり病気であっても私は何かの役にたっている。これは自分がここに来る前に癌になることを選んできたのかもしれないし、いろいろ他の理由でなったのかもしれない。

傲慢にそう思うのではなくて、やっぱりそろそろいろいろな人にも気づきはあったし、私自信の振動も少しはあがったし、そろそろ治るころなんじゃないかと、だから痛みが減ってきているのは当然のことかもしれない。

まあその振動やら気づきは大きいファクターだけど全てじゃない。

今からの私は、とにかく楽しむ!これしかない。

痛みのためにまだまだ運動がままならないので、今楽しめるのはビデオと食べることくらい。そこであれだけ食事療法、食事療法といろいろな食べ物に制限をしてきたけど、

食べたいものを食べる! 

昨日の韓国料理はうまかったし、今日は久しぶりにNさんとカナダ産Tim Hortonのドーナツ屋さんで、実は放射線をした日にめっちゃ食べたくなったピーカンデーニシュを買って堪能したよ~ん!!おいしかったぞ!

ってなわけで、最近のテーマとしてはオイルを摂取して朦朧としないように少量をとって徐々に増やしていき、後は自然に任せる。いろいろとっていたサプリや漢方も最小限にしてビタミンを適当に補い、後は気にしない。

つまり

治療のために生きるのではなく

生きるために治療をする。

そして・・

できるだけ癌だということを忘れる。


ま、別にこれらって前々からそういう方針だったけど、改めてね。そうしようと思う。

だから特にもう今からどんどん新しい情報を取り入れて、こうでもない、ああでもないと試行錯誤はやめて、あほなテレビを見ながらミニトランポリン(別名リバウンサー)でリンパの流れをよくしながらの腕、肩などのストレッチがここ2日の日課になってる。

喜びを増やす。これがやはりテーマで、健康な人もどんどん試して欲しい。

とくに2012年、がまんが多かったと思った人は、今年はがまんの量を減らしましょう。

# by mi-chanlucalu | 2013-01-21 07:57 | 乳がんをめぐる

放射線 副作用・・そして復帰

そうか、どう見ても今日は1月中旬。
放射線を骨盤と背中に当てたのは1週間前の月曜日。
吐き気、嘔吐、疲労に加えて痛みとの日々から最近やっと復帰。

つまり調子が悪くなって寝込んで食べれなくて外にも出なくてただ時間だけが
過ぎていたということになる。
私をサポートしてくれている人たちのおかげで子どもは元気に学校へ行き私もゆっくり
だけど昨日よりは今日、今日よりは明日という風に放射線前の私に戻りつつある。

痛みの緩和のための放射線。からだに触れることも目に見えることもできないもの。
それがこうやって確実に副作用として現れ、私は放射線をあてたんだと思い知らされた。

3年前にもっとひどい副作用のでた抗がん剤の経験に比べると「まし」だったけど
激しい嘔吐からの復帰は時間がかかる。

そして、これで私は一応癌3大治療を全て経験した。それはどれもひどいものだ。
これらを生み出したのは私と同じ人間なのだ。・・・・・・やれやれ。この件を追求しだすと
原発から核実験までいってしまいそうなのでやめとく。

今は、とりあえず食べれて眠れてうんこがでているので(実際、放射線後5日間便通なしだった)
すぐに死にはしないだろうと思う。

健康な人が「そんなの私だって明日事故にあって死ぬかもしれない」と励ましてくれる
ことがあるのだけど、それはかなり低い確率だ。私は今命のリーチがかかって
いるのかもしれない。進行癌だし、肝臓にも転移しているのだし、そういう「自分だっていつ
死ぬかもしれない」発言はあんまりがん患者に対して励ましにならないのでやめていただきたい。

私のからだは今物質的に蝕まれているのかもしれない。でもこころは元気だ。
今まで以上に元気なのかもしれない。
だんなに急死されて、子どもがまだ7歳で、自分が癌の全身転移という状態にある
のにどうしても悲壮感を持ち続けられない。

死んだだんながよく「Miss optimistic」と言っていた。亡くなった母は「極楽トンボ」と
言っていた。たぶん、私の数少ないいいところのひとつなんだろう。

一晩眠り朝がくるのがうれしい。今日はきっと昨日よりいい日になると思う。
昨日より笑いたい。歌いたい。楽しみたいと思う。

そして、昨日より少しいい人になりたい。

# by mi-chanlucalu | 2013-01-15 02:23 | 乳がんをめぐる