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世界で一番難しい仕事

イースターの休日はいい天気が続いている。

昨夜はるかが始めて一人で友達家にお泊り。聞いたところによると友達のFくんのパジャマを着たがらずにパンツもはかずに風呂からあがると下半身裸のままうろうろ。これは彼なりのこだわりなので驚かない。
それでも一夜あけて今のところ電話もないし無事に眠れたみたいだ。

私はみらと二人で時間を・・・と思っていたけど、みらはみらで見たいもの(映画)がはっきりしていたし、私はオイルががんがんに効いていてもう眠らないと頭がかなりふらふら状態だった。そんな感じで私ららしく適当なご飯を済ませて、さっさと二人でお風呂に入り眠った。

子どもでも一人いないだけでかなり喪失感がある。二人いっぺんのお泊りは止めておこう。確かにカイが欠けた日もなんか足りないような気分だった。誰かが欠けることにセンシティブになっている。



木曜にたまたま子どもの担任に挨拶に行ったら、以前指摘されたルカの授業中の集中力のなさについての話しになった。担任はストレスっぽいものが溜まっていたらしい。1月にルカの件でEメールが来たときは、とくに話しが必要とは思わなかった。というのも、彼女はるかは一度医者にチェックしてもらったらというところにひっかかり、私的にはちゃんと食べているし寝ているから大丈夫と思いそのときはスルーした。

ぼーっとしていることが多いとの指摘も、私的にはそういうスペースアウトができることがいいところだと思ったりもするので「ええやんか、べつに」と思っていた。でも一旦担任がルカのことを話し出すと延々だった。

話しをしてから何人かのママ友に話し、意見を求め、自分なりに考えた。木曜の放課後からは私の頭のなかはるかのことしか考えられなくなった。先生のことばを引っ張り出して吟味し、自分なりに整理していった。

当日にルカにちらっとくらいの感じで「るか、先生がるかがあんまり聞いてないって言ってたけど」と話すと、ルカはすぐに「るかは聞いているんだよぉ。でもMathが・・」との発言。つまり彼は周りに起こっていることははっきりわかっている。彼はインテリジェントだと先生も分かっている。実際4,5歳から本読みも算数もルカの方がみらよりも理解していてそれは今も変わらない。

るかのような子どもは先生は扱いにくい。だから医者に診断してもらいなんらかのレベルをしてもらいたいのかもしれない。母親にしても彼はよく分からないところが一杯あるのだ。でも私はそこが好きなのだ。

先生的には、私が「だから彼はホームスクールしていたんです」と言うと、「休みのときは率先して遊んでる」と言った時の言い方が、いわゆる昔のお母さん、お父さん、先生の口調だ。「遊びはするけど、勉強は全然」というんだ。勉強と遊びに線を引く。遊びのなかにどれだけ習うことがあるか、それがどれだけ子どもにとって大事なのかという点には必ずといっていいほど、クレジットをくれない。

担任はかなりフェアな人だと思う。でも州の文部省からのガイドラインがある。彼女はしごとをしているだけだ。だからルカに対する態度もとくにきついわけじゃないと思う。彼女の授業の持っていきかたがルカにはおもしろくないのだ。だから聞く気になれない。そうは考えないのだろう。23人の生徒のほとんどが聞いていたら聞いていない数人はどうしても非難される。彼女にはそういう権力があるのだ。

そして、多分、そういう理解のなさ(生徒が集中できないのは生徒のせい)が誰にも分からないうちに小さい心を傷つけるのだ。大げさだろうか?

私は今でも母親が「ちゃんとみんなとおんなじことして先生のいうこときいといたらえんや」みたいなことを言われたことがあるのを覚えている。そして、それは違うとも思っていた。小学校はそんなに深く考えなかったとしても、中学校に入ってつくづく学校がいやだった。だから高校へは行きたくないと母を困らした。

学校体制にはある程度の無理がある。だいたいあれだけのたくさんの子どもが全く同じことを個人のレベルに関係なく詰め込まれる。それに1年間のうちに生まれた月にかなりの差がある。大きな差では1年くらいにまでなるのだ。10月生まれの彼らは損なのだ。

もんもんと考えた夜があけて、金曜の朝にみらより早く起きたルカが私のところに来て、朝一の発言が「まま、るかはPay Attentionしてないんじゃないんだよぉ」と言った。

気にしている。

彼には回りががみがみと言うのは聞こえているんだ。非難の声も聞こえている。


そしてその朝、まだみらが起きていないときに、「まま」 とるか。

「ママ」(2度よぶ、ちゃんと聞いて欲しいから、目をまっすぐに見る)

「今からVery important thingを言うよ」

「まま、だいすき」と言いながら不器用に手を私の首に回し彼なりのハグをくれた。


至福のとき、だ。母親として。



彼はきのうから私が彼のことを必死で考えていたことをこころで知っているんだと思った。






母親行は世界で一番難しいしごとだ、と亡き夫が言ってくれたことがある。


そうなんだ。


これから彼らを育てていくことは大変なことなんだ。今が彼らの将来を左右するのだ。
私が彼らの人生に影響を与えるのだ。


でも、だから世界で一番意味のあるしごとでもある。





さて今日は山に登ろう。小さな達成感を得るために。

# by mi-chanlucalu | 2013-03-30 00:52 | 子育て

食事療法におけるひとつの案

春休み最後の日曜日。

昨日から今度は真剣に始めた朝食抜きの一日2食。

ブロ友のHさんから紹介された「薬屋のおやじのぼやき」の小食、断食のところで、またまた納得してしまったので、以前甲田医師の小食、
い断食のすすめの本の内容も思い出したのもあり、最近癌治療における私の食事療法が全く意識のほとんど無い内容だったのでちょうどタイムリーだったのだ。

なぜなら?
つくづく食事というものは人のために作るものだなあと思った。自分が食べたいものを作るのだけど(ある程度は)それをおいしいと言って分かち合える瞬間というのは、共感できて一緒に食べる行為が食事の醍醐味であって、色んな種類の野菜を食べない、つまり私が食べるものをおいしいといって食べるわけもないから子どもにはどうしても子ども用なメニューになる。そうするとどうしても私はがん患者用の食事を自分のためにせっせとつくらないといけない。時間がたっぷりあっても自分のためだけのおいしい料理を7日間作り続けるのはやはりどうしても無理がある。新鮮な野菜や食材も一人分を作るのは無駄がある。そして何よりそのエネルギーがいるしごとはオイル治療をしながらではどうしてもやる気が起きない。
そう。オイルが効いているとかなりレイジーな幸せな気分なので、色んな細かいことは「(どうでも)いいじゃないかぁ~!」という気分になり、最近はまっている「がきの使いやあらへんで」の「ききシリーズ」をだらだらと観て、へらへらと(っていうかたまにげらげらと)笑っている。

だいたい私が子どもにあの一般のカレーが最近2,3回夕食になってる。夕飯の時間はオイルが効いているときが多いのでとくに料理をがんがんする気がない。そのうえこれが食べたいと思うような欲求がないので何を作っていいのかさえ分からないようになってきている。味覚もなぜか最近変わっているようだし、食も細くなったので以前みたいにパパとがんがん食べていたようにがんがん、るんるん「今日はこれつくろ~」というような気持ちがあまり沸き起こらない。

小食、断食はいいことがいっぱいだし、子どもにだけ簡単な料理をしていればなんとかまわるんなら、それに1食にしたときに、それならまた玄米も食べ始めるかな、なんていうことも思えるようなって、今は気持ち的に楽になった。マリファナオイルを始めて、真剣に食事療法なんて絶対ちゃんとするのは無理な状態だったので
「楽」と「続ける」のは治療において大事なことだから、食べないでいいならそれの方が楽なのだ。

以前に朝食抜きはやっていたし、最近でもとくに食事というほどのものは食べてなくて朝は果物程度だったのでそんなに苦労しないだろうと思いきや、昨日の朝はものすごくおなかがすいた。なので朝にキャロット、アップルジュースを1年以上ぶりに始めることにもした。なので朝はそのしぼりたてのジュースが一杯とマリファナオイルとサプリ。これで午前中もたせる。朝は解毒の時間だからジェイソンウィンター茶を飲んでからサウナに入る。これも日課になってる。前はサウナに入るから食べとかないとと思っていたけど、実際何も食べなくてもふらふらしたりしない。

いつも色んな新しいことを発見したり、経験したりよんだりしたときに思うことなんだが、人間ってなんて洗脳されやすい動物なんだろうと思う。とくに日本人はひどいんじゃないかと思う。もちろんその洗脳されやすさがいい方向へいって働いているときもいっぱいあるんだけどね。

小食のことを友人の一人に話していると、日本で小食、断食の勧めを書いた本が流行っているのだそうだ。
それを「薬屋の親父・・」のブログで発見。
やれやれ。流行らないでずっと続けて欲しいものだ。これからは予防医学の時代だから、病気じゃない人たちが病気にならないような生活をしていくべきなんだ。

明日から学校が始まる。ううぅ。早起きが・・・・

# by mi-chanlucalu | 2013-03-24 03:25 | 乳がんをめぐる

Parksville

こんな時間にブログを書くことは最近全くなかったけど、この時間にかなり頭がすっきりと涼しいのでなんか書いてみることにした。

昨日まで3泊で去年だけ行かなかったけど毎年夏なると家族で行っていた車で2時間ほどのパークスビルへ行った。友人とその息子と5人で行った。

この土地にはあまりにも家族での思い出が多すぎで、なんとなく悲しくなってしまった。
あまりにも彼を思い出しすぎたバケーションになった。

るかは風邪がひどくなり、私がルカと「待つ」時間、つまりルカはしんどくて参加できなかったときが何度かあって看病的にルカとまったりした時間なりを過ごす羽目になることもあったけど、最後の方で彼はなんとかカムバックして参加できるようになり、ひどい咳をしながらも何とか楽しんだのでよしとする。

洞窟へも行けたし(かなり寒かったのでルカは途中でリタイア)ミニゴルフや自転車乗りとかビーチ以外のことで今回は楽しんだ。春にここに来たのは初めてだった。

オイルの効用があっても一人でストーンして部屋にいるのはあまりにも情けないから、結構強行に色々参加してまたまた自信をつけた。最近はこれくらいなら運転は大丈夫とかやばいとかの「効き程度」の判断もできるようになったし、一歩ま違えば危ない治療も順調にすすんでいる。

ただ1泊目以外の2晩は朝の1時をすぎても眠れなかった。オイルもかなり夜はとっているのにどうしたんだろうって感じだった。そのせいで最後の朝はなかなか起きられず、だらだらと午前中が終わってしまった。

天気は4日間かなり暖かくなったかと思えば嵐っぽくなったりとまさに春が始まったような日々だった。

ルカは帰りの車のなかで、家に戻っても春休みはまだ4日間あると知ってよろこんでいた。

# by mi-chanlucalu | 2013-03-21 12:57 | カナダライフ

治療は続行中

この2週間くらいに大麻オイルを一日1gとれるようになった。
1gというのが目標量だったので6週間くらいで達成できた。これからずっと続けていくことになる。

今のところそんなにハイにならずになんとかやっている。もちろん大麻は自然のものでおもしろいことに同じような量をとってもがんがん効いているときと、何にも普通と変わらず日常生活ができるときとの差がある。

さて、リックシンプソンのいうようにオイル60g後の私はCancer freeなんだろうか?それとももっとかかるかもしれない。こう考えると怖いのは、オイルが終わっても癌の症状が変わらず(だったらまだいい)悪化、進行とかしてたらしゃれにならんよ~!!!

ま、そういうことを深く考えずにやっていくしかない。


丸山ワクチンを始めた。兄の協力を借りて日本から送ってもらい、こっちの主治医に監督になってもらい一日おきに注射を打つ。皮下注射なので自分でやる。日本だったら本来はその監督している主治医に頼まないといけないけど、私のドクターは自分でやるならどうぞって感じなので気がらくだ。

これで免疫力をあげ、強くなるからだづくりをする。

昨日は床下に落ちていたものを拾おうとしたときに右の背中がぎっくり腰のようにぐきっとなり、その痛みがひどくてなかなか家事をするのが困難になってしまった。背中だけでなく右の肋骨も普通に歩いているだけでもかなり痛いのでもしかしたら骨にひびが入っているのかもしれない。


憂鬱。



早速昨日のうちに鍼師に電話して治してもらうように手配する。治りますように!

とにかく少しでも痛みの軽減をしなくては。


3月になり来週からは2週間の春休み。何をしようかなぁ~。

# by mi-chanlucalu | 2013-03-07 02:15 | 乳がんをめぐる

ぼくたちは死に向かって生きているんだよ

と書くとなんか否定的に聞こえるかもしれない。
でも
私たちの死亡する確率は100%なんだよ。

私の友人の兄が人間の歳で30代で亡くなった。

彼は癌だった。彼とはことばを交わしたこともなかったけどある程度の状況は友人から聞いて
知っていた。だから目をむくほどの驚きではなかった。

でも、癌で誰かが死ぬことを聞くのは正直言ってつらい。

彼のためにそして彼の妹のための涙は私のための涙なのだ。

歌を歌いながら泣いた。


彼はもう痛みから解放され、治療をどうしようかとか、小さい子どものことを案じたりしなくてもよくなった。きっと今はどこかとてもきれいなところで楽になっているんだと思う。



人の死は周りの人に色んなことを教えてくれる。それだけのために人は死んでいくのではないけれど、それだけでも意味のあることなのだ。あるときには。それだけでも他の人の人生を変えてしまえるパワーがあるのだ。死に行く人はそういうことを知っておくべきだ。

あなたの存在や人生そのものは意味あるもので、無駄は全くないんだと。そしてそれは死にいたり死後でさえ誰かに影響を与え続けることができるということを。


死は終わりではない。


ダライラマ14世のことばのように、私たちは身体という衣服を脱ぎ捨てて次の段階へすすむために一旦、この私たちが「現実」と信じている世界から去るのだ。

でも死を美化するべきではない。つまり死に急ぐことはない。

でも死を悪や否定的なものと化さないように子どもたちに教えていきたい。



死は自然の一部なのだ。



私たちすべての人類に死が訪れることを受け入れ、諦めないで一日一日を大切に生きよう。


あなたは毎日無数の選択をしながら生きている。

あなたに病気がなくても、あなたが今そうやって生きているだけが奇跡なんだよ!!



今土曜の朝日が私を優しく包んでくれている。この瞬間にものすごい幸せを私は感じる。朝日を毎日浴びることは2月のビクトリアでは無理なのでうれしい。

私は無類の太陽好きなのだ。


太陽さん、今日もでてくれてありがとう!

# by mi-chanlucalu | 2013-02-16 02:55 | 生きること