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自分で治すことについて語る - 2 依存と自然治癒

久しぶりに今朝は自然に6時前に目が覚めた。外は曇り。空一面のグレイ。
いつものPranayamaと8つのチャクラ活性の瞑想をした後、生姜紅茶を作り(生の生姜をすってお気に入りのオーガニックのアールグレイで)ラップトップに向かう。
日本に行く前から朝5時に目が覚めるようになってそれが日本にいるときも続いていたので、こっちに戻ってからそらが時差ぼけと疲れと痛みとで完璧に遮断されていたのだけど、からだが徐々に戻りつつあるのが分かる。

昨日はまた鍼灸へ行き、いままでのからだまんべんない治療をしていただいた。首もかなり楽になり、まだまだ恥骨あたりや腰に痛みは残るもののこれらも感じられるほどの違いがあった。ただ昨夜子どもと犬を連れて散歩したら痛み始めたので要注意だ。少しづつ、少しづつ。

以前に自然治癒力と依存についてかなり深く考えた時期があって、鍼灸なんかも行かないと治らないと思っているからだめなんだろうかとかとあれこれ考えをめぐらせたが、結局鍼灸は自然治癒力を『引き出す』治療だし、実際10年以上いっていて私には合っているし彼女の技術の素晴らしさを確信しているので『依存』ではなく、治す力を高めるために行っているのだと思う。実際治療を受けながら学ぶことが多く知識もかなり増えたので今家で簡単な治療ならできるし子どもにどうしてあげたらいいのかも判断できるのだ。

『依存』においての学びが日本滞在中にあった。これは気づきというより再確認であり、また癌というものに対するヒーラー側の呪縛を思い知るような経験がった。
友人の友人からの紹介で三重の榊原に温泉ホテルがあり、そこに難病を治療してくれる人がいるという。これはかなり前に聞いていて『今度機会があったら行ってみたらいいですよ。絶対治るから。』と言われていた。
今回、この人に会ってみようか、でもやはりこれは『依存』だと思いながらためらっていたものの、とりあえずある日、電話を入れてみた。すると電話に出た人の対応はさめざめしたもので、まず自分たちは宗教法人になったこと。温泉が工事中なので入れないし、もし治療を受けたくて宿泊するのなら1万八千円で(温泉なしでも)あること。このヒーラーのことを聞いた友人に再度尋ねてヒーラーに会うための準備(聖書を読む、下着からすべて新品を揃える、などの)をしてから来ることを考えるべきであること。などだった。
彼女の対応から話し方までにかなりうんざりしたので適当に電話を切り、日本で宗教法人になると税金を払わなくていいことを後で妹から聞いてなんかもっとうんざりした。 

もうひとつのエピソードがある。矢山クリニックに入院中に会った人からあるヒーラーを紹介された。エネルギーヒーラーで、痛みを治してくれる。治療代は1万5千円と高いけど一度試してみてはどうか、と連絡先を渡された。これは縁だし、私はこの会った人たちのことが好きだった。考え方も似ているしとても素敵なカップルだった。信じられるソースからの紹介だったのでこのヒーラーの秘書に連絡しみた。メールはすぐに返ってきて、予約を入れられるスケジュールが書いてあった。数日考えて予約を入れ返信した。するとどこが痛いか、どういう症状かを訊いてきたので、簡単な状態を書いて返信した。

その後のメールに背筋が寒くなった。

まず、がん治療は危険をともなうので1回60分で10万円であること、そして予約キャンセル料は50%。
どちらも事前の情報がなく、彼らにはHPもないので私が知る由もないことだった。速攻で『どちらもできない』ことを返信するとお詫びの返信があり、この件は白紙に戻った。

癌や難病、とにかく死をなんとか逃れようと人はあれこれの手をつくす。お金ももちろんあるなら少々かけても命は買えるものでないので本人や家族はなんとかしたいと思うのだろう。私がこの件で疑問に思うのはエネルギーヒーラーならどうして癌を特別扱いするのかということだ。授かった特別な力で人を癒せるのに病名で違いがでてくる趣旨が分からない。もともとヒーラーと名乗ってしまうことそのものがどこかに『私は人を治して上げれる』的な傲慢さがある。今は『癒し』が流行り『ヒーラー』になりたい、なる人、自分でそう名乗る人がそこらじゅうにいる。もし自分に人にない特別な力があってそれで何か苦しんでいる人の役に立つとしたら、それでお金儲けをすることが正しいと判断してしまうのだろうか?それも病名で値段が違うなんて!!

この縁と経験は私にとって大きな学びだったのでどちらも必要なものだと思う。落胆も怒りもない。これが現実であり受け入れていく。『依存』における本当の『治療』はないのだ。
日本へ行きあの特別なクリニックを訪れてみるときに、このクリニックで出来ることで癌を治してもらおうと思っていなかったので行ってみようと思ったのだ。だから私の心の中になんとかしてもらえるような『依存』はなかった。院長に1ヶ月入院も勧められても自分の判断で短縮して実際それでも長く入院したと感じられた。クリニックから得たものは大きかったが2週間以下でも今得られたものは変わらなかったと思う。

自分のからだの声を聞き、直感を信じることだ。沸き起こるインスピレーションを感じれる力を身につけるためにその声が聞ける精神をつくる。過去に私はそれらを無視したことがあった。聞こうとしたし内なる私は分かっていたけど外からの圧力に負けてしまったのだ。弱い自己や理性や外からの情報を受け入れたのだ。それは後々『後悔』という苦いことばがあてはまる暗くどろどろした時間を作る結果となってしまった。
でもそれらの体験があるからこそ今の私があるともいえる。もうそれらの外からの声にまどわされず心身ともに成長していく。前へすすんでいくことのみが私の目の前にある。『アミ、小さな宇宙人』で語られているように私たちは『進化』していく。進化することにおいて『依存』はなく、進化すれば病気にならないし、なったとしても治癒するのだ。このうえでの『進化』とは?『アミ、小さな宇宙人』を読んでください。

by mi-chanlucalu | 2012-07-24 23:45 | 生きること