外は雪な今日この頃
ここ3日くらいちらほらと雪が降るようになった。でもたいした量ではなくてふわっと粉が
かかった程度だったけど、昨日の夜ちょっと積もりそうに降っていた。
「しんしんと雪が降る」っていうことばがあまりにもぴったりな夜で外灯の下で
降り続く雪をずっと見ていたかったけど、夜もかなり更けていたので明日はどうなるか
を楽しみにベッドに入った。
子どもたちが起こしに来て(なぜか目覚ましが鳴らなかったし、ルカがおねしょをして
それからなかなか寝付けなかったから)すぐに外を見るように言ったら
[うわ~お~!!It’s like a Christmas!」とか何とか叫んでいた。
実際、昨日ちょっと積もってもそうだっただけど、雪を見ると触るとか遊ぶとかっていうのは
自然に子どもに起きる行動なんだろうなぁ。なんか海に連れて行くと(まあ湖でもなんでも
いっぱい水のあるところ)絶対入る(冬でも)ような感覚に似ているんではないんだろうか
とちょっと思った。山があったら登りたくなる、のもそういう何か自然にひきよせられる、
それこそ無意識にやってしまうことなんだろうと思う。
まあとにかくそんな人間と自然の関係を崩したくないので、私も何することなく彼らの
写真を撮りながら、仕舞いには自分もスキーパンツとかをはいて外へ出て暖炉用の
マキを箱に詰めたり、雪だるまを作ろうとしたり、あげくのはてにはソリを車に積んで
近くの広場へ行った。これで午前中が終わってしまった。
こういうことはホームスクールならではできることだ!とか思うんだけど後で私の方が疲れて
なんか[お勉強]っぽいことは何も出来ずに今日は終わるんだろうなぁなんて考えながら
みんなでおいしいあったかいご飯と味噌汁を食べているときは至福のひと時だったので
もう、この後私が疲れてこどもをいつものようにほっといてもいいやって気になってしまう
のである。ええぇい!小さいときに遊ぶだけ遊んで何が悪い!と開き直ってしまう私なんだけど
なんだか今私より全然疲れていない二人は2階で本を読んで(日本語を声だして)いるような
のでま、それが「学びじゃない~!!」と感動しておこう。
なんか本当にありがたいなぁ。
こういう寒いときに、たとえば雨が降って寒くてとか、こないだの暴風雨のときなんかにも
ひしひしと感じるんだけど、家があってそこに暖があって寝るベッドがあっておいしい
食べ物がある。子供たちもだんなも元気だし、いくら自分からこのまま痛みが消えなく
てもすごく幸せでありがたいと思う気持ちは変わらない。
最近とくに子どもと長い時間一緒にいて、彼らの言動一瞬一瞬が感動的でぎゅ~っと
抱きしめたくて、んでそういうことを感じているあいだにその一瞬一瞬がどんどん過去に
なっていくのをこれまたひしひしと感じる。まるで音を立てて彼らが成長していっていて
ジャックの豆の木みたいにあっというまに大人になってしまうんだろうかと思ってしまうので
とにかく一瞬一瞬をぎゅうぎゅうしぼって味わいながら暮らしている。
痛みはずっと存在していて、よくも悪くもなっていないというか、すごくひりひりと脇の下が
痛むとか右肩が今こうやってタイプしていたらだんだん痛くなってきたりもするんだけど
何かもうかなり長いこと付き合っているのでもうなんかからだの一部というか、まあきっと
からだが今なんか調整しているんだろうくらいに考えて、きっと無理しなければいつか
もっと健康な痛みのないからだになるんだろうとか気楽に考えている。
実は昨日のヨガのクラスの後ずっと痛かった右の腰あたりがかなり楽になっていて
「これは、もしや・・・」とか思ったんだけど、朝起きたらまだ居たので、ま、気長にやりま
ひょ~って感じで今朝も右全体ほぼ痛いながら子どもとそりしたり雪だるまを作って
いた。こういうことが痛いながらもできるんだからやっぱりありがたいよ。
今は太陽がでていてこの家もとっても明るい。子どもたちはそれぞれ違うことをもくもく
とやっていて、まあなんて静かな午後、至福・・・。と思いながら今日はこの辺で。
今年はトランポリンをしまわなかったのでこうやって雪だらけ。これも楽しいことのひとつ。
雪だるまを作り出した二人。遊び方も成長している。
雪をかなり食べたルカ。食べだしたらやめられない。みらも参加。
スノウエンジェルぅ~!! 私も広場でやった。気持ちいい~!
まだまだ雪が足りないのでそりはそんなに早くすべらなかった。でもかなり楽しめたよ。
かかった程度だったけど、昨日の夜ちょっと積もりそうに降っていた。
「しんしんと雪が降る」っていうことばがあまりにもぴったりな夜で外灯の下で
降り続く雪をずっと見ていたかったけど、夜もかなり更けていたので明日はどうなるか
を楽しみにベッドに入った。
子どもたちが起こしに来て(なぜか目覚ましが鳴らなかったし、ルカがおねしょをして
それからなかなか寝付けなかったから)すぐに外を見るように言ったら
[うわ~お~!!It’s like a Christmas!」とか何とか叫んでいた。
実際、昨日ちょっと積もってもそうだっただけど、雪を見ると触るとか遊ぶとかっていうのは
自然に子どもに起きる行動なんだろうなぁ。なんか海に連れて行くと(まあ湖でもなんでも
いっぱい水のあるところ)絶対入る(冬でも)ような感覚に似ているんではないんだろうか
とちょっと思った。山があったら登りたくなる、のもそういう何か自然にひきよせられる、
それこそ無意識にやってしまうことなんだろうと思う。
まあとにかくそんな人間と自然の関係を崩したくないので、私も何することなく彼らの
写真を撮りながら、仕舞いには自分もスキーパンツとかをはいて外へ出て暖炉用の
マキを箱に詰めたり、雪だるまを作ろうとしたり、あげくのはてにはソリを車に積んで
近くの広場へ行った。これで午前中が終わってしまった。
こういうことはホームスクールならではできることだ!とか思うんだけど後で私の方が疲れて
なんか[お勉強]っぽいことは何も出来ずに今日は終わるんだろうなぁなんて考えながら
みんなでおいしいあったかいご飯と味噌汁を食べているときは至福のひと時だったので
もう、この後私が疲れてこどもをいつものようにほっといてもいいやって気になってしまう
のである。ええぇい!小さいときに遊ぶだけ遊んで何が悪い!と開き直ってしまう私なんだけど
なんだか今私より全然疲れていない二人は2階で本を読んで(日本語を声だして)いるような
のでま、それが「学びじゃない~!!」と感動しておこう。
なんか本当にありがたいなぁ。
こういう寒いときに、たとえば雨が降って寒くてとか、こないだの暴風雨のときなんかにも
ひしひしと感じるんだけど、家があってそこに暖があって寝るベッドがあっておいしい
食べ物がある。子供たちもだんなも元気だし、いくら自分からこのまま痛みが消えなく
てもすごく幸せでありがたいと思う気持ちは変わらない。
最近とくに子どもと長い時間一緒にいて、彼らの言動一瞬一瞬が感動的でぎゅ~っと
抱きしめたくて、んでそういうことを感じているあいだにその一瞬一瞬がどんどん過去に
なっていくのをこれまたひしひしと感じる。まるで音を立てて彼らが成長していっていて
ジャックの豆の木みたいにあっというまに大人になってしまうんだろうかと思ってしまうので
とにかく一瞬一瞬をぎゅうぎゅうしぼって味わいながら暮らしている。
痛みはずっと存在していて、よくも悪くもなっていないというか、すごくひりひりと脇の下が
痛むとか右肩が今こうやってタイプしていたらだんだん痛くなってきたりもするんだけど
何かもうかなり長いこと付き合っているのでもうなんかからだの一部というか、まあきっと
からだが今なんか調整しているんだろうくらいに考えて、きっと無理しなければいつか
もっと健康な痛みのないからだになるんだろうとか気楽に考えている。
実は昨日のヨガのクラスの後ずっと痛かった右の腰あたりがかなり楽になっていて
「これは、もしや・・・」とか思ったんだけど、朝起きたらまだ居たので、ま、気長にやりま
ひょ~って感じで今朝も右全体ほぼ痛いながら子どもとそりしたり雪だるまを作って
いた。こういうことが痛いながらもできるんだからやっぱりありがたいよ。
今は太陽がでていてこの家もとっても明るい。子どもたちはそれぞれ違うことをもくもく
とやっていて、まあなんて静かな午後、至福・・・。と思いながら今日はこの辺で。
今年はトランポリンをしまわなかったのでこうやって雪だらけ。これも楽しいことのひとつ。
雪だるまを作り出した二人。遊び方も成長している。
雪をかなり食べたルカ。食べだしたらやめられない。みらも参加。
スノウエンジェルぅ~!! 私も広場でやった。気持ちいい~!
まだまだ雪が足りないのでそりはそんなに早くすべらなかった。でもかなり楽しめたよ。
by mi-chanlucalu | 2012-01-17 05:27 | 生きること