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元気です

私は元気でやってます。

日本時間はエイプリルフールなのできっと嘘かと思うかもしれません。
でも本当なんです。
免疫力アップのため、とにかく笑うようにしています。
すべてに感謝をしています。
すべてを愛したい、愛するようにしています。

自分の最愛の人を亡くして、笑おうなんて、無理を・・・と
思うかもしれません。でも本当なんです。

彼の四十九日の法要を浄土真宗のお坊さんにしていただきました。
彼は法名もいただき、
『智海』となりました。
とても合っています。私がほんの3行くらい彼のことを説明した
だけで、こんなに合った名前をいただけるとは、きっと彼も喜んで
いることとおもいます。

海は仏教では慈悲を表すそうです。
彼は本当に愛の深い人でした。
そして智はもちろんWisdomです。

さて少し話しがそれましたが、なぜ私が笑いたいか

こういうことです。


乳がんの骨転移は何箇所かにあり、それは検査のときから予想しては
いたものの現実に診断されるとショックはありました。

でもショックに沈んでいる時間はないのです。

もういっぱい泣きわめいたし、食べなかったり寝なかったり
変なものだけ食べていたりしました。

そんな感情に浸っている暇はないのです。

『どんな治療をするって言われたの?』とかっていうのは
間違っても聞かないでください。

私は今深いところにいて、そういう話しを長々と個人的にする時間もないのです。
ブログに今書いていたり、フェイスブックに載せたのはそのためです。

人との話題だけに終わらないでください。

今度はちゃんと治療(西洋医学/キモ/放射線)
するんでしょう?と言わないでください。
それがあなたにとって、そしてなんにんかの人にとって
信じているものでも。あなたにそれが100%の可能性のあるものと
自信があるのでなければ。

もしそんな時間があるのであれば、
癌のことを調べて読んで私に何が必要か考え
智慧をください。
笑わせてください。
免疫力をあげる薬草をください。
愛をたくさんください。

私は私なりにやっています。
もう泣いている暇はないのです。


私は癌に感謝しています。
癌にならなければ分からなかったことは本当に山ほどあるのです。
そして、今やっていることも癌でなければそうしていないかもしれません。
何も苦痛はないのです。
何も不公平でないのです。
これがただ単に私に与えられ選んできた人生のひとつに過ぎないからです。

私たちの誰もいつかは死にます。
癌になることでそれをまた深く考えられます。
真剣に生きることを学びます。

私はだからといって諦めているわけではないのです。
何度もこのブログに書いているように、一瞬一瞬を生きるのです。
なかなかできることではないのですかそれをいつも頭において
おくのです。

そして自分の信じる道をすすむのです。
それをするには本当に無駄にしている時間はあんまりないのです。
焦っているのではなく、ブログをかなり更新しなかったのは
落ち込んでいたわけでも悲しみに拉がれていたわけでも
ないのです。ただブログを書く時間でさえあんまり意味がないような
気がしてきています。

私はこう書きますが、やっぱり何のコメントもないのはさみしいよね。
笑 、いやまじで。

読んでるって会ったときとかに言われてもね。 笑。

だからもうやめるかもしれません。

そういうわけなので

私のことを考えるときに何か声をかけてください。

電話でもメールでも。

その愛はきっと私のエネルギーになります。



私のブログがなくて、
心配な気持ちが少しでもあるなら
連絡してください。

私はいつもあなたのことを想っています。

いつでも泊まりに来てください。

沢山で笑うともっと免疫力がアップするらしいです。


こころより愛をこめて
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by mi-chanlucalu | 2012-03-31 12:15 | 手紙

震災から1年、私にできること

おとといの晩
ふっとつけたJapanTVで
震災から1年での特集をやっていた。
ボランティアの消防団員二人のインタビュー。

一人の人が
「自分の奥さんが生きていれば何もなくなってもなんとかなる」
と当時思ったことを話していた。
そして、彼の奥さんと子どもは無事だった。

もう一人は団長をしていた人。
彼の奥さんと娘さんは亡くなった。
でも彼は
「自分は納骨までできたらね、他の人(からだも見つかっていない遺族)
申し訳なくて・・・」
と語っていた。

私の涙はとまらなかった。
でも
いい涙だったと思う。

その夜
多分これは想像だけど私の無意識が動き
朝になるころには「こうしよう」というひとつの
行動が生まれた。

オンラインで
あしなが基金に寄付すること。

この基金は日本の孤児、世界の孤児
今では1年前の被災地孤児のための
募金活動などを行っている。

海外からでもVisaで寄付ができる。

私は今直接いろんな人に助けられている。
たとえわずかでも何かの足しになればと
送った。

これは昨日の朝で
だから
昨日の朝は
かなり元気になれた。

おこがましくも
自己満足な
手伝わせてもらったという
気持ちになれたことに
とても感謝ができたからだ。


「氷点」と「続 氷点」のなかで
こころに残ったことばのひとつに

『愛は感情でなく意志である』とあった。

そしてたくさんあるなかでも

『人が死んだ後に残るのは、その人が集めたものでなくて、与えたものである』と

いうことばにも私のなかにうなずけるものがあった。


そしてこれは聖書のことばからなのだが

『たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために
捧げても、もし愛が無ければ、いっさいは無益である』

というのもこころに残った。ただ、

これだけのことを愛なしに出来る人が
いるのだろうかとも思った。


今日図書館に子どもを迎えにいったとき

ほんの1秒くらいだけど

何か今までなかったようなぐらっときた

感じがあって、そこに座らなければならなかった。


幸い、それだけで運転して家に無事に着いた。


命は、今生きていることは、本当に尊い。

命ははかなく、今生きていることは奇跡なのだ。


1年前に地震と津波で自分の家族が死に、または

行方不明になり、家が無くなると誰が考えただろう。


私たちは若くても、老いていても、家族を亡くしても

家を無くしても、つらくても、苦しくても


生き続けなくてはならない。


生きることは権利ではなく

義務なのだから。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-10 16:11 | 生きること

彼が逝ってしまう前に読み始めた本を
いつからか読み始め
昨日読み終えた。

「氷点」で作者は三浦綾子。
彼女の本を読むのは全く初めてだった。
そしてこの本たちは自分の意志で選んだのでなく
友達によってやってきたのだった。

実は自分で選んで日本からオーダーした本が
やってきたときにはまだ本を読む気力もなかった
ので、それを読みたい友人に貸してあげた。

でもまっさらのその本たちが去ってしまうと
なんとなくさみしくなり彼女に読み終わったら
早く返してね、と言ってしまう。

その間、
また「氷点」を読み始めた。
話のなかの主要人物が命をとりとめるシーンと
いうのが分かっていたので
もう読みたくないな、と思っていたけど
読み始めるとその内容や
死生観にたいすることばに
読み続けずにいられなかった。

私が選んで日本からオーダーしてまで
読みたかった本たちは
なぜかまだうまく読むことができずにいる。

なんとなくその本の伝えたい内容が
分かるだけに、
今の私にはすらすらと読めない。

もし誰かが
「ほら、宇宙のこの大きさに比べたら
人間の人生なんて・・・」って言ったときには
やっぱり
その人を張り倒してやりたいと思うだろう。

その本はきっとことばは違うけど
そういうとても
(例えば地球が私ら次第でもっと
生まれ変われるんだみたいな)
素晴らしいことが書いてある本なのだ。
と思う。


不思議なもので本というものは
その人それぞれにタイミングで
やってくるような気がする。


自分で選んだ本よりも
友人からなんとなくもらった本が
こころに響くことばを見つけることが
できた。



畳を購入するたびが終わってから
かなりひどい脱力感と疲労の日々が
続いている。
今日また本を読み終えてから
いっそうひどいむなしさと
疲労と脱力感のなかに浸っている。
昨日、今日と全くどこかへ行く気分に
なれず行ったらそれだけで疲れてしまう。

眠りは相変わらず浅く
そんなに
アルコールも毎晩飲む気分に
なれない。

いっそのこと
狂えたら
楽なのかもしれないけど
きっと
それができない星に生まれて
しまったのだろう。

毎日の
楽しみというものが
全くない。

以前は
「今日はなんの楽しいことをしようか」と
口に出して言っていた。

掃除機は壊れ
家の掃除もする気がない。

家にずっといると
カーペットの汚さにもなれた。

掃除機を買いに行くのも
おっくうで
また
選ばないといけないのが
面倒だ。

カイは今日散歩へ行かなかった。
誰からもオファーがなかったし
誰かに頼むのが面倒だった。

幸い天気がよくて
庭には出してあげたけど
申し訳ないと思う。

子どもたちもどこかへ行きたいと
何度も訴えてきたけど
まあ、最後には諦めたようだ。



それでも
なんとか
一日が終わった。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-08 20:33 | 生きること

四七日 

今日で28日たった。

子どもと朝から私の唯一知っている「般若心経」をあげ
何かとお供えものをして一日が始まる。

また銀行とのアポ。

その後
彼の好きそうなチーズと
ワインとビールを買った。

夕食のときにも
チーズやワインや
食事をお供えして
子どもと3人手を合わせ
てからみんなでご飯を食べた。



昨夜はものすごく疲れていたのにも
かかわらず、お風呂に入った後
友人の置いていったビールを
飲み始め
違う友達にもらった痛み止めを飲むと
また

泣けてしまい
泣きながら
彼には英語で
母には日本語で話しかけた。

缶ビール1本でかなりくるけど
ええい、と2本目をあけ
もちろん彼には供えていたけど

ぐじゃぐじゃになり
その夜はなんとか1時間ごとに目が覚めずに
5時間くらいは眠れた。

これからは痛み止めとアルコールや!
と友達に言ってみせる。


でも今朝は
ネットで
ホイットニー ヒューストンや
スティーブ ジョブスの死因を
調べて色々読みながら

また答えを見つけることが
ない
「どうして?」
の世界に入り込んでしまう。



昨日友達と二人
バンクーバーへ中古の畳を買いに行った。
Ikeaにも寄りなんやかんやと家庭用のものを買う。

それでも今朝は
彼にもほしいと言ってよく話していた畳が
あるのに、もうどうでもよくなっている。

今は目先のプランを立てそれをこなすことに
意味があり、実際のモノたちを得たことに対する
喜びは自分でも信じがたいほど薄い。

きっとお金を使いまくりいっぱい買ってくるだけ
買ってくることができるだろう。
でも得たことに対しての充実感が欠けている。

それは家のローンが生命保険によって
なくなるような空しさに似ている。

以前は例え小さなものでも
少しだけ高めのワインでも
おいしいチーズも
一緒に喜ぶ人がいた。
28日前には。

今は反応のない空気や写真に向かって
話しかけるだけ。


でも、

やってもやらなくても
空しさは同じなのなら
目先のプランを立てながら
一日一日をこなすことだけが
今の私にできることなんだろうと
思う。

子どもが眠って
ひとりで
泣くときには
いつもは絶対言わない

「なんで?」
を何度も何度も繰り返す。

こうやって話していると
泣いていると
どこからか

映画やドラマでよくあるように
彼も
でてきてくれるんじゃあないかと
窓ガラスを凝視してしまうときが
多々ある。

母が亡くなったときも彼女の
霊がでてきて
私に話しかけてくれないかと
こころから念じた。

彼女は私の夢にさえ
でてはくれない。

母が亡くなったとき
すぐには感じなかったけど
自分のなかの一部が
死んだ。

それはもうどんな人やものや
美しい景色や素晴らしい経験でも
生き返らせることはできない私の
一部として死に続けている。

彼が逝ってしまい
また
私の一部は死んでしまい

それを感じている子どもたちには
すまないのだけど
わたしのなかの死んだものも
パパと同じように生き返りは
しない。

こうやって毎日私たち生きるものは
着実に死に向かってすすんでいる。

それだけは
本当に
平等に与えられる。

今日ももうすぐ終わり
また一日死に近づいている。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-07 15:13

それでも・・・

昨日のバンクとのアポで
結果からいうと住宅ローンの
全ての払い込みが私が計算して
考えていたよりもかなりの小額のペナルティで
できることがわかった。

この事実をペナルティの額と合わせて知ったとき
ほっとした安堵と同時に
異常なくらいの疲れと暗く重い気持ちが
こみ上げ、担当の人が机を離れているときに
そこにうっぷしてしまった。

普通なら「うれしい」とか「よかった」気持ちが
もっと優先するはずなのに
そういう感情が全く沸き起こらなかった。

疲労と暗い気持ちは午後も変わらず
からだの痛みと重なって
ただ眠っていたいと思った。


以前、二人で彼のリタイア後の生活について
よく話しをした。 近くのもっと小さな島に家を
買ってもっと田舎暮らしをするんだとか、
メキシコの家は安いとか。
この家を売れば窓を入れ替えたときのローンも
無くなるし、彼の老後の心配はない、なんて
楽しいことがもうすぐ起こるようなことを
よく話した。

ただ私は自分がいつ死ぬかもというものが
こころにあり、時折彼に
「しごとやめて今どっかへいこうよ」と
すすめていた。
「明日何があるか分からないんだよ」と。

そのたびに彼は
「いや、今辞めたら自分の年金はまだ少ない
でも、6年後だったら全額支給だから子どもたちの
ことも安定だし、だから自分はそんな中途半端
なことはできない」と言っていた。

いつも、なんどきもそうやって家族の幸せを
自分の責任を深く考えていた人だった。

今彼が逝ったことにより、家を売らなくても
ローンが全てなくなる。


命とひきかえなのだ。


命に値段はつけられないけど
そういうことなのだ。

私たちは彼がまじめに働いて
生命保険も入っていて
そういうことで路頭に迷うこともなく
家をすぐ売らなくても
今の状態を保つことができている。

彼は自分の死後も私たちを
守ってくれている。



ローンがあってもいいから
もっとあってもいいから
戻ってきてほしいと
こころが叫んでいる。

Heartacheということばがある。
今の今まで
それがどういうものか知らなかった。
今は
本当に
胸が痛い。
精神的なものが実際肉体的なものを
動かせるのだ。

ローンが無くなることで私のなかには
空しさだけが残った。

それは彼の永遠の不在を意味するのだ。

ああ、あなたはラッキーよ。
そうやって守られているんだから。
ときっと誰かは言うだろう。

私は甘えていると。
もっと大変な人が悲しい人が
世の中には沢山いると。



分かっている。分かりきっているけど
今はどうしようもないこの空しさを
とりあえず今は
このままで。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-04 08:21 | 生きること

るかが毎晩のようにパパの夢を見ているらしい。

たとえば今朝起きての第一声が

「るか、ぱぱのゆめあったよ」

どんなゆめ?

「ぱぱとままとるかとみらがなんかたべてたの」

いいゆめだった?

「うん」


そこにみらがやってきて

「みらもぱぱのゆめみたよ。みんなでスキーいって
るかもじょうずにすべったの」

1月に日帰りでスキーに行った。
みらはすぐに大好きになったけど
るかはどうもからだがそりすぎてうまくできずに
ほとんど楽しめなかったようだ。



私は愛しい人が亡くなってから
彼らが夢にでてきたことはない。

母が14年前に亡くなってから
亡霊でいいから話したいと思いながら
毎日を過ごしていて、妹の一人が
母の夢をみると言っていたことがあった。

私は今も彼女が夢にでてくることはない。

子どもが生まれてから余計にはっきりと
夢を覚えていることはなくなってしまった。

一時期には夢日記を付けれるくらい
はっきりと夢を覚えていた。

この6,7年ではっきり覚えている夢は
あのキモセラピーのときにみた
異様にはっきりと現実味をおびた
お告げのような夢っきりだ。

夢は無意識状態のなかで起こる。
人は訓練によって無意識をコントロールでき
それによって素晴らしいところへ到達も
できる。

夢も見ようと思えば意識的に
どうにかできるらしい。

今の私には感情や無意識を敢えて
どうにかしたいとは思わない。

すべては全くの自然のなかにあり
私もただそのなかの一部で
今は流されるままにいよう。

起こるべくことは
何かの手を加えなくとも
起こるのだ。

生き続けることが奇跡なのだから
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by mi-chanlucalu | 2012-03-03 08:33 | 生きること

3月1日

もう今日から3月

今朝は朝から日が差していて私の
腰あたりに暖かい感触が広がっている。

私たちの家は南向きに窓が多くとってあって
出来る限りの日が入るようになっているので
こういう日は朝からとても明るい。



眠りがあんまりにも浅く
夜中から何度も何度も目が覚めるので
昨日は本を読みながらずっと起きている
ことにした。
すると12時半ごろにルカが
頭が痛いとおきてきた。

これは吐き気のしるしなので
彼が吐くまでボウルを持ちながら
ずっとついていた。

彼がやっと全部吐いて眠った後も
2時くらいまで本を読み続けた。

すると何の気なしに朝まで何にも
誰の邪魔も入らずに眠れた。
みらがいつベッドに入ってきたのかも
知らなかった。

そういった睡眠は短いけど
夜中に何度も起きる長浅い眠りより
朝はしっかり目が覚めていた。


今ホームスクールしていたことはありがたい。
彼らをせきたてて学校へ毎日行かせなくて
いいということはやっぱりひとつ責任みたい
なものがない。でも実際まったく子どもたちは
野放し状態なのでどうか、とも思うけど
彼らに何かをやってあげれるエネルギーが
まったくないのが現状だ。

みらもるかも今回吐いたのは
やっぱりストレスからくるものだろう。
熱も咳もなく、次の日はけろっとしている。

みらがご飯前にストーブの前で
眠ってしまったことや最近やっと食べる
ようになったルカは、長いこと静かだったし
毎日ほとんど食べなかった。

彼らは毎日明るく遊び
私のように何かのきっかけで泣き崩れる
ことはないけれど、きっと小さいからだで
その中の思考でいろんなことを
無意識のなかでも考えている
んだと思う。


子どもたちを見ていることが私の
今の平和である。
だから彼らが一日中週5日も学校へ
行っていたらと思うとホームスクール
の選択は正しかった。

もちろん今の生活がこのまま続くとは
思っていないけど
とにかく今を積み重ねることで
精一杯なのである。

今日は日が差していること、雲が太陽を隠さず
青空さえ見えることがありがたいと思える。
からだの痛みは現実で疲労は消えていないけど
こういう気持ちが沸き起こるのはあたたかい。

明日ではなく今日でもなく
今私はこの朝日を浴びよう
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by mi-chanlucalu | 2012-03-01 09:07 | 生きること