<   2012年 01月 ( 4 )   > この月の画像一覧

これでいいのか、Happily Ever After

・・・・そしてみんないつまでも幸せに暮らしました。 The end.

これは全てのディズニーのお話しの終わり方である。

リトルマーメイドではアンデルセンが書いた「人魚姫」も主人公の人魚は最後は泡
とならずにエリック王子と結婚までしてしまうとドラスティックなチェンジがある。
もし今アンデルセンが生きていたらこの結末を変えることに承知しただろうか?

だいたい映画とかでもハッピーエンドじゃないと観ない傾向を作っていたのはあの巨大な
アメリカ合衆国のお国柄ではないんだろうか。私はある時期から、あんまりにも予想が
できてしまいすぎるアメリカ映画に飽き飽きしてヨーロッパとか他の国の映画ばかり
観るようになった。

たとえばイギリスの映画ひとつとってみてもだいたい俳優、女優からしてリアルで
ビューティフルピープルが主人公でないのがほとんどである。そして内容もまったく
予想できない結末に終わるものもあれば、まったく日常生活のように何もなく終わる。

最近アメリカでもそういうびっくりするような(主人公が死ぬ)終わり方を作る人
もでてきたけど、そういうのは一部の人にしか受けないような気がする。

少し前に「かちかち山」を子どもに読んであげていた。すると内容が変えられている
のに気がつく。まず、たぬきがおばあさんを殺さなかった。そして最後はうさぎもたぬき
を殺さずにたぬきがおじいさんとおばあさんに謝りHappily ever afterなのだ!
本の最後に「内容を少し変えました」と補足説明があったけど、これでいいのだろうか?

私は「まんが日本昔話」を毎週土曜に見て育ったけど、あの一話15分のなかに色々な
学びがあったような気もする。すごい怖い話しもあったし、かちかち山ではやはり
たぬきはおばあさんを殺してしまうのだ。生きていくとはそういうことなのだ。
いつも死ぬこととは背中合わせなのだ。昔の人たちがお話を通して何か伝えようと
(それが無意識であるにせよ)したことを簡単に変えてもいいのだろうか。

マッチ売りの少女の話しを聞いて6歳の子どもたちは自分は少女のようにマッチを
売らなければお父さんにぶたれることもなく暖かなベッドで眠れることに少しでも
感謝の気持ちをもつのではないのだろうか。そういう貧乏な子供が現実の世界に
あふれている事実を感じるきっかけにもなるのではないのだろうか。

人魚姫はお姉さんたちが持ってきてくれた剣で王子様を殺さずに自分が泡になる
ことを選んだというその自分中心でないこころを考えることを与えれるチャンスを
結末を変えることでまったく失ってしまったのだ。

こういう元もとの話が子どもにとってはきつすぎると思う人たちは「死」は「悪」
なのであろうか?いつも悪者が死ぬというのもそういう偏った考え方の象徴の
ような気がする。ほとんど全てのハリウッド映画のように。

私が子どものときまだディズニーはリトルマーメイドを作っていなかったので
(多分)私はアンデルセンの「人魚姫」が泡になって消えていくことにすごく
悲しい気持ちになったと思う。お姉さんたちの剣をとってあのアホな気づかない
王子を殺してほしいとこころから願った。でも彼女は自分が泡になることを
選ぶことで王子への愛を守った。究極の愛のお話なのだ。

本当のお話の内容や結末を変えることでこの世の中が子どもにとってよく
なってきたとは思えない。子どもの数が(先進国では)少なくなって、子どもに
残酷さを教えないことが美とされるような傾向もあるのはちょっと過保護に
すぎるのではないだろうか。

私たちの中にある悪や無力感や死に対する気持ちやもっともっと複雑な
人間の意識はいつもいつもハッピーエンドのストーリーだけで語れない
のである。

それとも私が小さなことに細かすぎるのだろうか。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2012-01-30 02:25 | 生きること

マッチ売りの少女

昨日の夜のみらチョイスのお初ストーリー
アンデルセンの「マッチ売りの少女」

読みながら、内容を思い出し、こころのなかで
「あ、これはやばいかも」

案の定、少女がマッチをする度に見える幻影の暖かそうなご馳走や
家のなかのクリスマスツリーが少女に見えることが双子たちは
不思議でならない。

「なんでみえるの?」
「そう、おもってるの?」
「それはほんとうなの?」

などなど質問攻め。

幻影などのひとことで分かる歳でもなく英語でイルージョンと言ってみた
ところで何のヘルプにもならず、

「ひとは死にそうになったら見えないものが見えたりするんだと思う。
ままもはっきりしたことはわからないけど」

の、ようなことを言ったと思うのだけど、なんせ最後に少女の大好きなおばあさんが
現れて少女を連れて行ってしまうところなどを読みながら自分が涙しそうになるのを
こらえているあいだも彼らは真剣に話しを最後まで聞いて終わってもまた
質問だらけ。

ときおり、子どもたちと死についての話しをするときがある。それは私が教えようと
持ち出さずとも、彼らがすごく真剣に考えることのひとつである。

私は仏教の教えで育ってきたので輪廻転生を当たり前のように語ってしまうのだけど
学校へ行っていない彼らも学校へ行っていたころは誰かから「死んだら終わり」と
言われた、というようなことを話していたことがある。

死んだマッチ売りの少女が生まれ変わることについては聞かれなかったけど
さすがに眠るときの彼らはちょっと悲しそうで そういうかわいそうな子がいる
ことが腑に落ちていない様子だった。

自分のこの子たちに対する愛を思いっきり込めながら少しでも楽な気持ちに
なるように子守唄をいつもより気持ちを入れて歌った。

マッチ売りの少女はどうしてあんなマッチなんかをお金持ちの人たちの通る
場所で売らなければならなかったのだろう。そんな少女を見て誰も助けて
あげようとは思わなかったのだろうか?アンデルセンはこの話しを通して世の
無情を語りたかったのだろうか?

マッチ売りの少女よ、天国で大好きなおばあさんと幸せであれ。
みらがバービーはもういらないのであげるそうです。

雪の中ボールを投げてもらうのを待つカイ。きっとマッチ売りの少女のような
立場になっても一番長く生き残るのは彼だろう。
d0132493_1114222.jpg

[PR]

by mi-chanlucalu | 2012-01-28 10:48 | 生きること

外は雪な今日この頃

ここ3日くらいちらほらと雪が降るようになった。でもたいした量ではなくてふわっと粉が
かかった程度だったけど、昨日の夜ちょっと積もりそうに降っていた。
「しんしんと雪が降る」っていうことばがあまりにもぴったりな夜で外灯の下で
降り続く雪をずっと見ていたかったけど、夜もかなり更けていたので明日はどうなるか
を楽しみにベッドに入った。

子どもたちが起こしに来て(なぜか目覚ましが鳴らなかったし、ルカがおねしょをして
それからなかなか寝付けなかったから)すぐに外を見るように言ったら
[うわ~お~!!It’s like a Christmas!」とか何とか叫んでいた。

実際、昨日ちょっと積もってもそうだっただけど、雪を見ると触るとか遊ぶとかっていうのは
自然に子どもに起きる行動なんだろうなぁ。なんか海に連れて行くと(まあ湖でもなんでも
いっぱい水のあるところ)絶対入る(冬でも)ような感覚に似ているんではないんだろうか
とちょっと思った。山があったら登りたくなる、のもそういう何か自然にひきよせられる、
それこそ無意識にやってしまうことなんだろうと思う。

まあとにかくそんな人間と自然の関係を崩したくないので、私も何することなく彼らの
写真を撮りながら、仕舞いには自分もスキーパンツとかをはいて外へ出て暖炉用の
マキを箱に詰めたり、雪だるまを作ろうとしたり、あげくのはてにはソリを車に積んで
近くの広場へ行った。これで午前中が終わってしまった。

こういうことはホームスクールならではできることだ!とか思うんだけど後で私の方が疲れて
なんか[お勉強]っぽいことは何も出来ずに今日は終わるんだろうなぁなんて考えながら
みんなでおいしいあったかいご飯と味噌汁を食べているときは至福のひと時だったので
もう、この後私が疲れてこどもをいつものようにほっといてもいいやって気になってしまう
のである。ええぇい!小さいときに遊ぶだけ遊んで何が悪い!と開き直ってしまう私なんだけど
なんだか今私より全然疲れていない二人は2階で本を読んで(日本語を声だして)いるような
のでま、それが「学びじゃない~!!」と感動しておこう。

なんか本当にありがたいなぁ。
こういう寒いときに、たとえば雨が降って寒くてとか、こないだの暴風雨のときなんかにも
ひしひしと感じるんだけど、家があってそこに暖があって寝るベッドがあっておいしい
食べ物がある。子供たちもだんなも元気だし、いくら自分からこのまま痛みが消えなく
てもすごく幸せでありがたいと思う気持ちは変わらない。

最近とくに子どもと長い時間一緒にいて、彼らの言動一瞬一瞬が感動的でぎゅ~っと
抱きしめたくて、んでそういうことを感じているあいだにその一瞬一瞬がどんどん過去に
なっていくのをこれまたひしひしと感じる。まるで音を立てて彼らが成長していっていて
ジャックの豆の木みたいにあっというまに大人になってしまうんだろうかと思ってしまうので
とにかく一瞬一瞬をぎゅうぎゅうしぼって味わいながら暮らしている。

痛みはずっと存在していて、よくも悪くもなっていないというか、すごくひりひりと脇の下が
痛むとか右肩が今こうやってタイプしていたらだんだん痛くなってきたりもするんだけど
何かもうかなり長いこと付き合っているのでもうなんかからだの一部というか、まあきっと
からだが今なんか調整しているんだろうくらいに考えて、きっと無理しなければいつか
もっと健康な痛みのないからだになるんだろうとか気楽に考えている。

実は昨日のヨガのクラスの後ずっと痛かった右の腰あたりがかなり楽になっていて
「これは、もしや・・・」とか思ったんだけど、朝起きたらまだ居たので、ま、気長にやりま
ひょ~って感じで今朝も右全体ほぼ痛いながら子どもとそりしたり雪だるまを作って
いた。こういうことが痛いながらもできるんだからやっぱりありがたいよ。

今は太陽がでていてこの家もとっても明るい。子どもたちはそれぞれ違うことをもくもく
とやっていて、まあなんて静かな午後、至福・・・。と思いながら今日はこの辺で。

今年はトランポリンをしまわなかったのでこうやって雪だらけ。これも楽しいことのひとつ。
d0132493_651836.jpg

雪だるまを作り出した二人。遊び方も成長している。
d0132493_662513.jpg

雪をかなり食べたルカ。食べだしたらやめられない。みらも参加。
d0132493_671718.jpg

スノウエンジェルぅ~!! 私も広場でやった。気持ちいい~!
d0132493_682348.jpg

d0132493_69515.jpg


d0132493_6103992.jpg

まだまだ雪が足りないのでそりはそんなに早くすべらなかった。でもかなり楽しめたよ。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2012-01-17 05:27 | 生きること

初なものの・・・・

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします!

さて、今年は大晦日からお節料理をふんばってこさえた。お母さんが料理しているあいだに
お父さんは掃除や車を洗ったりして、まるで日本の正月のようだった。

カナダの元旦も太陽が顔をのぞかせてくれて2年連続の晴れだったもありがたい。

d0132493_14273062.jpg
d0132493_14275852.jpg


朝に家族だけでおとそとお雑煮、黒豆、ごまめとなますで本当にこの始まり方って
お正月だな~としみじみしていた。
親しい友達が持ってきてくれたお料理やデザートもおいしく、たくさんの子どもたちも餅
をばくばく食べてもりもり遊んで本当にお正月気分を味わえた。今年は黒豆がふっくら
と煮れたのでるかとみらに大好評だった。

ただ、その1月1日からとても久しぶりに嫌なことが起こった。

夜も9時半はゆうにまわっていたころ、日本の家族とスカイプをしていた。
はじめは軽かった頭痛がだんだんハンマーで殴られているように痛くなり
首まで痛くなり、吐き気までやってきた。

ブログを付けていたのではっきりとこれに最後に襲われたのが2008年の
2月だったことが分かったので実に2年ぶりのことだった。

のた打ち回るくらいの首と頭の痛さの後便通があり、激しい嘔吐。

次の日は実際の症状をGoogleしてみた。近いのがくも膜下出血だけど
脳の検査がいる。他の人で似たような症状の人はストレスからくる
肩こり、頭痛と嘔吐。う~ん・・・・・やれやれ。 次の日もかなりしんどかったし
今日は張り切ってクリスマスツリーの後片付けやなんやとばたばたして
午後はヨガを教えていた。本当は夕方にヨガトレーニングクラスがあったの
だけど、軽い頭痛を感じたのでパス。自分のためのヨガを1時間くらいすると
なんとか頭痛は消えていたのでほっ。こんな状態で無理は禁物。

まだまだからだの痛みを治療中なのに他のことで悩まないかんかなぁ。

今はとりあえず折りをみて主治医に話をしてみることにしようかとも考えている。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2012-01-03 14:21 | 健康