<   2010年 05月 ( 6 )   > この月の画像一覧

髪の毛

髪の毛がのびてきたのはうれしいのだけど・・・

へんにくりくりなので

昨日はパパが私を見て

「Your hair is so curly!」と言って笑いながらハグするほどやった。


確かに朝起きてあんまりへんに曲がっているので濡らして
ワックスなりジェルなりをつけないと堂々と人に会いたくないような
感じになってる。

だってちょっと間違えればおばちゃんあたまやん。

かといって、また短くするのはいややし・・・・。


これってやっぱりキモのせいで髪のDNAを壊されて髪が前のかなり
ストレートな形を忘れてしまったのかな?

キモセラピーをして髪を剃った人が映えてくるのに、こうやって
巻き毛になったり、多く生えて来たりするのを聞いたけど、

確かに下の方は量が多いような気がする。

うううう~まあそれはどうでもええけど。

髪の毛が生え変わるようにおっぱいもまた生えてくれないかにゃ~。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2010-05-31 04:58 | 乳がんをめぐる

今回日本へ行くことについて

やっと自分のこころの決心がついて
四十九日に一人で日本へ行くことにした。

前回のブログを書いてから自分の気持ちを観察していたら
今回はあんまり乗り気じゃない私がいて、その気持ちをどう
処理していろんなことを肯定的に考えれるか、を考えていた。

ただ書き出したらきりがない細々したことを考えずに
やっぱり周りがこれだけ状況が揃っているのに私のふつふつした
思いとか体力の落ちていることだけで止めるのはきっと
何年後かに後悔するような気もするので思い切ることにした。

父は多額の借金があり、今兄家族の住んでいる家も抵当に入っている。
私たちきょうだいは母のときも遺産相続を拒否した。つまり母のときも
借金を拒否したわけだけど、父の場合は兄家族が家を出なければ
ならない。つまり私が12歳から住んでいた家に行くのが今回
最後になると思う。

これはやっぱり分かっていたことといえ兄夫婦たちにとって楽なこと
ではないだろうと思う。私が短期で行って四十九日に顔だしたところで
彼らの役にはたたないだろうけど、電話やメールでなくてその場にいて
話しを聞くのは、何かとても大切なことと思えた。

母の死は私たちきょうだいに長く尾をひく悲しみをもたらせた。
父の死はある意味では何か節目のようなものがある。

事実上私たちきょうだいはオーファン(親なし子)になった。
もちろん、もう子供じゃないのでそうはよばないのだろうけど。

今回、もろもろの行きたくなかった理由のひとつは子供を置いて
一人で行くことだった。乳がんになってから私の生に死がとても
身近にあり今一瞬一瞬を大事に過ごそうとしている。彼らは
なんとなく、ある意味において私の一部であり離れるのは
寂しい。飛行機が落ちたらもう会えないのだ。

ただ、そんなことを含む細かいことを考えないように今は
気持ちの集中をポジティブにしている。日本で子供たちに
本や服を買ってあげることとか、家族たちとあほな話しを
して笑いころげることとか、こういうことはまずないと思って
楽しむ方向でいかにゃ。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2010-05-29 13:39 | 生きること

畑を始めたことより

よりちゃんがしなってなってしまった!

水をあげなくては~

ってわけで、今年はパパさんが庭の一部をほりほりして
畑を作りました。 今までトマトとかイチゴとか偶然いっぱいできた
かぼちゃとか、なんとなくガーデニングだったのだけど、今年はパパさん
はりきってすごいお仕事を殆ど一人でこなしましたわい。

いまだにUSBコードが見つからないので写真をアップできないのが
残念だけど、シーダーの木でちゃんと枠を作って(それも二つ)
土と堆肥をまぜあわせ、種植えだけは家族みんなでやったのだけど・・・・。

しかし、彼は本当にこういうプロジェクトをもくもくとこなすよな~。
トマトのための木のベッドも二つ作って、本当に中世のロシア人のように
働きものよ。

私といえば・・・
こないだ久々に芝刈り機を使って、そのうえ直径3mのトランポリンを動かしたり
したのでもう術後のキズ周りがずきずき痛んで・・・そのうえその日はどーっと
疲れて9時半には寝た。 ので、あんまり力仕事は(掘るとか)手伝いたくない。
っていうか、ダメージが大きくなるのでやらない方がまだいいんよね~。

はぁ~、ま、手術後1年もたってない今日この頃、こういう手術がからだに
与えるダメージってすごいなぁ~とつくづく思います。
自分を労わりながらおいしいご飯をせっせと作ったり、掃除洗濯をきちんと
こなしていくのが私の役割とすごしておりやす。

ところで、まさに畑を作成中に私が読み出した本がドロシー マクリーンの
「天使の声が聞こえる」なんだわ。知る人は知るフィンドフォーンの創設者の一人
で植物や木や、とにかく自然の精霊たちとコンタクトができる人が書いた本。
最近読む本がタイムリーなので、いやはやこの世に偶然はないんだなぁ~と
感心、感謝しながら読みました。

で、これを読んでからはいままで蜂がとても怖かったのに、なんと大丈夫
になった。家に入ってしまったら蜂さんに「ごめんね~ここには食べるものが
ないから外へ行ってね~」と言えるようになった。
ハエだってお願いしたらちゃんと出て行ってくれたし、ハミングバードが
なんと!本当にめちゃめちゃ私の近くを飛んでくれて、まるで「いつもネクター
ありがとう」と言ってくれてるように見えた。彼女がすごい近くに来てくれたのは
も一度あって畑に水遣りをしてるときに水を飲みに来てくれた!!
これって同じ子なのかな~と考えながら「暑いから水のみにきたの?」と
訊いてみた。
2度とも本当にすごい近くをかなり長い間飛んでいて、ぶーんってどこかへ
いったのだけど・・・・。

意識の変革ってすごいね。

2週間くらい前に去年行ったBright Angel Parkへまた行ったのだけど
すごーくいい蕨たちを見つけた。今年は行くとこにワラビがあって
いろんな人に分けて楽しむことができた。
自然の恵みに本当に感謝。

去年は自分の乳がんのことでこういうゆとりはなかったのだけど
こうやって何かできることって本当に素晴らしい。毎日が気づきの連続で
あることに喜びと感謝を・・・・全てに・・・・
[PR]

by mi-chanlucalu | 2010-05-18 13:07 | 自然

父の死をめぐる

躁うつ病だった父は母が生存で元気だったころは
なんとか彼女のエネルギーと愛によって癒され私たち家族はまわっていた。
もちろん、それでも彼が「躁状態」のときは誰にも押されらないほどに
ひどくなることもたびたびだった。そのときにきちと投薬する知識を
もっと彼自身が学んでいれば、彼の人生はもっと違うものだったの
かもしれない。 ・・・・・あるいは。

最近、英語がよく分かるようになって私とパパとの話しを横で聞いてた
みらに「どうしたん」と訊かれたので「ママのおとうさんがしんだの」と
言うと、

「じゃあ、ママの新しいおとうさんは?」とかなり速攻で訊かれた。

大笑い。 彼らの世界は平和で新しいことに満ちている。


そんな家族に色々と迷惑をかけてきた父が誰にも迷惑をかけへん最後
でしたと兄からのメールに入っていたのを読んだとき、とてもほっとした。
父は人生の最後にはとてもいいことをしたのだろう・・・・。

彼が死んでから、毎日のように日本へ行くことを考えている。
四十九日の法要に私もその場にいるべきなんじゃないかと・・・。
実際その方向への計画は始まっていて、自分たちのバケーションの
予定日を変更したり(これはすご~く楽しみにしていたのでさすがに取り消し
はしたくなかった)、ヨガのトレーニングの一環である受けなければ
ならないワークショップをキャンセルしたりした。

だから、後は昔エアーラインで働いていた友人からのオファーが
あり、彼女がまだそこで働いている友人からスタンバイのチケットを
購入することができるのでそれが実際可能で飛べるのを待つだけなのだ。
実は私もその友人に会ったこともあり、だから彼女もヘルプしてくれる
というかなりありがたい出会いになった。

6月の中旬はチケット代も高くなってきていてこのオファーがなければ多分話し
がここまで進まなかったような気もする。

ただ、スタンバイなので乗れないかもしれない。
だからまだ行けるかどうか分からない。

そして一応できることはしたので後は運にまかせることにした。

自分の直感のようなものと流れにまかせる。
行けてもいいし、行けなくてもいい。

でも実はヨガのワークショップの方は申し込みはしていたものの
今年はどうしようかとは少し迷っていたのでキャンセルして
少しほっとしている。
やはり疲れやすいので自分のからだをもっと大切にして来年に
しようか、とも思っていたのだ。

乳がんの宣告をされてもう1年がすぎた。
癌になってから考え方、生き方が変わった。

無理をしない、頑張らない、なるようになるさ、でやれることをやる。
でも、自分の内の気持ちや周りの流れの音も聞きながら・・・。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2010-05-06 14:17 | 生きること

わらび

最近近くに越してきた友達に教えてもらった
Trailの側にわらびを見つけた。
彼女がよくワラビの話しをしていて、「また採りに行こうよ」と
行っていたのに、なんとこんな近くにあったとは。
これをいっぱい採ってとりあえず、その日は(かなり前)彼女に
全部あげた。そんなに好きならと。

母はよく山に入るとなんやかんやと山菜を摘んでいた。
山育ちだった彼女は食べれる野菜をよく知っていた。
そのとき、私は若くて、そんなものは年寄りの食べるものと
全然興味がなかったのに、今では自分が料理しながら、
大根の葉の塩もみに簡単にごま油と醤油と赤唐辛子であえたのと
自分で採って来たわらびのナムルと
カブの葉をさっと茹でて、オリーブオイルとガーリックであえたのが
あればご飯はそれでいい、なんて風な毎日になってる。
夕飯はその三種の野菜に簡単野菜おでんに玄米。
もう、幸せ~。

全く自分の母親のようになってきてる。
みらはそれを見て
「まま、やさいばっかり!」と言うが彼女は私が子供のころより
断然好き嫌いが少ない。野菜もかなり色んなものを食べるし
私が小学校でも食べれなかった沢庵なんて大好物やし・・・。
るかはどっちかっていうと私の子供のころのようにすごい偏ってる。

しかし、わらびなんて日本では料理したこともなかったのに
今では自分で採って食べてるなんて・・・・しかもカナダで・・・

ありがたや~
[PR]

by mi-chanlucalu | 2010-05-05 13:26 | 食べること

父の死

日本時間の5月2日の日曜日父が死んだ。
その知らせはあまりもに急で、あまりにも真夜中だったので
うまく思考ができなかった。

急性白血病ということで、苦しまずに眠るように息をひきとったらしい。

最後に父と話しをしたのは去年の6月に自分のがんのことで日本にいるとき
それも電話で話しただけだった。

色々と躁うつ病だった父は、母が亡くなった後も彼自身が抱える問題に
うまく向き合わず、処理できずに、母がいない分更なる家族に迷惑に
なるような事々を引き起こしていたと聞いている。

それでも兄の家族と住んでいた分、なんとか今まで生きていたのでは
ないだろうか? もし母が亡くなり、ひとりならきっと色々な事務的な
生き延びていくことは何もできずに途方にくれていたと思う。
父は兄たちに感謝していたのだろうか・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう突然の死は、やはりどうしても自分が乳がんあり手術をして、これから
どう生きるのかを考えれずにはいられない。
人は生まれながらにして、誰でもいつかは死ぬという運命を背負っている。
そして「死」というのは、こうやってなんの前触れもなく誰にでもやってくること
があるのだ。 だからといって恐れることはなく、今を精一杯生きることが
大切なんだと思う。

自分自身とうまくやっていく術をしらなかったので、父は家族とも他人とも
不器用な生き方をしてしまったのだと思う。 母が生きていたときはその
色々と欠けていたところを要領よく補いながらなんとかやっていたのだと
思う。そしてその母に悪い言い方をすれば完全に甘えていたところが
あったのだろう。

ひとつだけはっきりしているのは、彼なりに苦しみや後悔や色々な気持ちが
あったと思う。でも、もう考えなくてもいいということだ。 死ぬということは
そう悪いことではない。

お父さん、今生のお勤めご苦労様
おばあちゃんやおじいちゃんやお母さんに会えるといいのだけどね。
[PR]

by mi-chanlucalu | 2010-05-03 06:45 | 生きること