カテゴリ:生きること( 36 )

Translator(通訳者)としての一日

カナダ時間の9月27日の月曜日の午後。
友達から電話があって急な通訳をお願いできるかと頼まれた。
彼女も知人の通訳会社の人に頼まれたのだけどしごとで行けないので
多分1時間くらいらしいからということだし、費用もでるというのでOKして
家からかなり近くの警察署へ行った。

このとき私は事故か何かと思っていた。日本人がきっと目撃したけど
英語がうまく話せないとか、くらいに考えていた。

ところがどっこい!!!
なんと殺人事件! 殺人というより新生児殺しという英語でも
HomicideでなくてInfanticideという。
そして容疑者は20歳の日本人女性。私は7月末にカナダに来てまだ
2ヶ月もたっていないこの女の子の通訳として本来1時間くらいで
終わるだろうものが9時間くらいも(途中2時間半待たされる・・・)
かかってしまった。

もうすでに現地の新聞社のウェブサイトにもでていたのだけど
彼女は一人でホストファミリーの家の自室で2週間前に出産して
生まれた赤ちゃんをナイロン袋に入れて自分の部屋に放置していた。
ホストマザーが異臭に気づいたのが今日で、彼女はESLのプログラム
をとっているビクトリア大学で逮捕された。

いわゆる「尋問」の通訳をしながら気分は重く、ことばを日本語や英語に
変えながら、うつむいてあまり質問に答えない彼女の表情を見ていると
なんともいえないものがこみ上げるのを抑えながら、それでも冷静に
自分に与えられたことだけをこなした。

弁護士から黙秘権のことや警察から何を聞かれても「応えたくない」と
言いなさいと言われてから彼女は全くしゃべらないに等しかった。
「疲れている」と何度も言っていた。警察側も疲れているのを分かっていて
3時間以上にも及ぶ尋問を続けていた。

私は全く冷静だった。もちろんどこかに「もうどうにでもなれ」的な気持ちが
なかったとは言えないが、警察が「認証されている通訳だよね?」って
聞いたとき、すかさず「はい」と応えていた。友達の立場を考えてのことだった。

通訳をしながら、2時間半待たされながら色んなことを考えた。
あの何年か前にバンクーバー空港でRCMPにティザーで殺されてしまった
ポーランド人。彼のことを思い出した。彼はバンクーバーという大都市に
いながら通訳一人としてつけてもらうことがなかった。完全に無罪だった
英語のしゃべれなかったポーランドの青年はそのために誤まって殺された
犠牲者なのだ。

もし私が「いえ、私は正式な通訳者ではないです、ただ日本語と英語が
流暢に話せて書けて読めます」と言ったならどうしたのだろう。

どうしてあの青年に通訳者がつくことなくあんな悲惨な殺され方を
したんだろう。これも彼のカルマなんだろうか?

そしてこれはもう5年くらいも前になるんだろうか、カルガリーで
日本人女性が家に幼児二人を放置したまま彼とドラッグに溺れ
二人とも死んでしまった事件。これは思い出さずにいられない
出来事だ。今回の事件できっとかなり若い日本人女性の価値が
カナダ人から下がるんではないだろうか。(もうすでに下がっている
んだろうけど) どうして彼女たちは誰かに育ててもらうことを考え
なかったんだろう。

赤ちゃんが欲しい人は星の数ほどいるというに・・・・。

私は特に夕食も食べないまま、結局終わったのが9時半をまわっていた
と思う。一時は8時過ぎに終わったはすなのに、迎えに来てくれる友人が
ついたころまた呼び戻された。日本人の女の子が何か話し始めて
通訳者を求めているというのだ。

結局、せっかく来てくれた友人をひとりで帰すことになった。
そしてあらたに1時間弱の応答。
今回は女性の刑事。

女の子はトイレでひとりで出産し、へそのをを切ろうとしてはさみを
探しているときに胎盤が降りてきて、その後意識を失ったと言う。
いつ出産が始まったとか、どれくらい意識を失っていたとか、赤ちゃんの
泣き声を聞いたかとか、生まれたとき赤ちゃんは生きていたのかとか
赤ちゃんの肌はどんな色をしていたとかは覚えていないと言う。
意識が戻った後胎盤が赤ちゃんの顔の上に乗っていて、それを
取り除くと赤ちゃんは息をしていなかったそうだ。

女刑事は誰が出産後赤ちゃんを袋に入れたのか、どうするつもり
だったのかを何度も聞いたが答えを得ることなく終わった。

パトカーで家に送ってもらってから、食欲は全くなく家にあるビール1缶
ほんの少し残っていた白ワイン、豆乳&カルーアを少し、を飲みながら
パパとその件で延々と話す。結局自分が昨日焼いたジョニーケーキが
一かけ残っていたのでそれをトーストして食べた。

11時半くらいに寝ようとして、多分なんとか眠れたけれど
朝の4時くらいにルカがおしっこをちびったと言って起こされた
ときはお葬式の夢を見ていた。そして、それは誰のお葬式かは
分からないのだけど、自分がとても重たいピアスをはめようと
しては落ちて、それを探していたところだったと思う。
そのピアスは重い金か何かで大きく、私は実際そんなピアスは
持っていない。それをいつも入れない耳の穴に入れようとして
なかなか入らず何度も落とすのだ。なんとも重苦しい夢だった。

それからはなかなか寝付けず、朝方少しだけ眠りがやってきたころ
にはもう起きなければならなかった。頭ははっきりしていた。
実羅やるかが横で寝ていることにこころから感謝をした。起きた実羅の
ぬくもりを感じ頬をすりすりしたら「まま、だいすき」と言ってくれた。
るかもみらもいつもいつも「まま、すきだよ」と言ってくれる。

死んだ赤ちゃんはそんなぬくもりを一度も味わうことなく
この世を去ったのである。これが赤ちゃんのカルマだったと
あっさりと片付けるには重すぎることではないんだろうか。

彼女の親は?友達は?彼氏は?どうして妊娠しているのに
留学なんてできたんだろう?どうして誰にも相談しなかったのか?
母親は彼女の妊娠に気がつかなかったのだろうか?
大学の先生は? これはなんかただ彼女だけの責任だけでは
ない。犯罪というのはある意味では色んな人たちの責任なのだ。
どうしてナイロン袋に赤ちゃんを入れたまま2週間も、その部屋で
過ごせたんだろう?そしてそのままにして学校へ行けたんだろう?

私は今日久しぶりに太陽が輝いて、平和な一日をおくれた。
カイの散歩へ行き、洗濯物を外に干せたし、ヨガをする時間も
もてた。睡眠不足もこれでかなり楽になった。子供たちの水泳の
クラスのときにはスチームルームに入って汗をかくこともできた。

死は誰にでも公平に用意されている。だから自分に与えられた
ことをなるだけ楽しく満たされるように生きていきたい。
明日死ぬかもしれないのにどうして無駄にできようか。

亡くなった小さな子たちはその権利さえ与えられなかったのだ。

私たちはそれから学ばなくてはならない。
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by mi-chanlucalu | 2010-09-28 12:26 | 生きること

今回日本へ行くことについて

やっと自分のこころの決心がついて
四十九日に一人で日本へ行くことにした。

前回のブログを書いてから自分の気持ちを観察していたら
今回はあんまり乗り気じゃない私がいて、その気持ちをどう
処理していろんなことを肯定的に考えれるか、を考えていた。

ただ書き出したらきりがない細々したことを考えずに
やっぱり周りがこれだけ状況が揃っているのに私のふつふつした
思いとか体力の落ちていることだけで止めるのはきっと
何年後かに後悔するような気もするので思い切ることにした。

父は多額の借金があり、今兄家族の住んでいる家も抵当に入っている。
私たちきょうだいは母のときも遺産相続を拒否した。つまり母のときも
借金を拒否したわけだけど、父の場合は兄家族が家を出なければ
ならない。つまり私が12歳から住んでいた家に行くのが今回
最後になると思う。

これはやっぱり分かっていたことといえ兄夫婦たちにとって楽なこと
ではないだろうと思う。私が短期で行って四十九日に顔だしたところで
彼らの役にはたたないだろうけど、電話やメールでなくてその場にいて
話しを聞くのは、何かとても大切なことと思えた。

母の死は私たちきょうだいに長く尾をひく悲しみをもたらせた。
父の死はある意味では何か節目のようなものがある。

事実上私たちきょうだいはオーファン(親なし子)になった。
もちろん、もう子供じゃないのでそうはよばないのだろうけど。

今回、もろもろの行きたくなかった理由のひとつは子供を置いて
一人で行くことだった。乳がんになってから私の生に死がとても
身近にあり今一瞬一瞬を大事に過ごそうとしている。彼らは
なんとなく、ある意味において私の一部であり離れるのは
寂しい。飛行機が落ちたらもう会えないのだ。

ただ、そんなことを含む細かいことを考えないように今は
気持ちの集中をポジティブにしている。日本で子供たちに
本や服を買ってあげることとか、家族たちとあほな話しを
して笑いころげることとか、こういうことはまずないと思って
楽しむ方向でいかにゃ。
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by mi-chanlucalu | 2010-05-29 13:39 | 生きること

父の死をめぐる

躁うつ病だった父は母が生存で元気だったころは
なんとか彼女のエネルギーと愛によって癒され私たち家族はまわっていた。
もちろん、それでも彼が「躁状態」のときは誰にも押されらないほどに
ひどくなることもたびたびだった。そのときにきちと投薬する知識を
もっと彼自身が学んでいれば、彼の人生はもっと違うものだったの
かもしれない。 ・・・・・あるいは。

最近、英語がよく分かるようになって私とパパとの話しを横で聞いてた
みらに「どうしたん」と訊かれたので「ママのおとうさんがしんだの」と
言うと、

「じゃあ、ママの新しいおとうさんは?」とかなり速攻で訊かれた。

大笑い。 彼らの世界は平和で新しいことに満ちている。


そんな家族に色々と迷惑をかけてきた父が誰にも迷惑をかけへん最後
でしたと兄からのメールに入っていたのを読んだとき、とてもほっとした。
父は人生の最後にはとてもいいことをしたのだろう・・・・。

彼が死んでから、毎日のように日本へ行くことを考えている。
四十九日の法要に私もその場にいるべきなんじゃないかと・・・。
実際その方向への計画は始まっていて、自分たちのバケーションの
予定日を変更したり(これはすご~く楽しみにしていたのでさすがに取り消し
はしたくなかった)、ヨガのトレーニングの一環である受けなければ
ならないワークショップをキャンセルしたりした。

だから、後は昔エアーラインで働いていた友人からのオファーが
あり、彼女がまだそこで働いている友人からスタンバイのチケットを
購入することができるのでそれが実際可能で飛べるのを待つだけなのだ。
実は私もその友人に会ったこともあり、だから彼女もヘルプしてくれる
というかなりありがたい出会いになった。

6月の中旬はチケット代も高くなってきていてこのオファーがなければ多分話し
がここまで進まなかったような気もする。

ただ、スタンバイなので乗れないかもしれない。
だからまだ行けるかどうか分からない。

そして一応できることはしたので後は運にまかせることにした。

自分の直感のようなものと流れにまかせる。
行けてもいいし、行けなくてもいい。

でも実はヨガのワークショップの方は申し込みはしていたものの
今年はどうしようかとは少し迷っていたのでキャンセルして
少しほっとしている。
やはり疲れやすいので自分のからだをもっと大切にして来年に
しようか、とも思っていたのだ。

乳がんの宣告をされてもう1年がすぎた。
癌になってから考え方、生き方が変わった。

無理をしない、頑張らない、なるようになるさ、でやれることをやる。
でも、自分の内の気持ちや周りの流れの音も聞きながら・・・。
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by mi-chanlucalu | 2010-05-06 14:17 | 生きること

父の死

日本時間の5月2日の日曜日父が死んだ。
その知らせはあまりもに急で、あまりにも真夜中だったので
うまく思考ができなかった。

急性白血病ということで、苦しまずに眠るように息をひきとったらしい。

最後に父と話しをしたのは去年の6月に自分のがんのことで日本にいるとき
それも電話で話しただけだった。

色々と躁うつ病だった父は、母が亡くなった後も彼自身が抱える問題に
うまく向き合わず、処理できずに、母がいない分更なる家族に迷惑に
なるような事々を引き起こしていたと聞いている。

それでも兄の家族と住んでいた分、なんとか今まで生きていたのでは
ないだろうか? もし母が亡くなり、ひとりならきっと色々な事務的な
生き延びていくことは何もできずに途方にくれていたと思う。
父は兄たちに感謝していたのだろうか・・・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう突然の死は、やはりどうしても自分が乳がんあり手術をして、これから
どう生きるのかを考えれずにはいられない。
人は生まれながらにして、誰でもいつかは死ぬという運命を背負っている。
そして「死」というのは、こうやってなんの前触れもなく誰にでもやってくること
があるのだ。 だからといって恐れることはなく、今を精一杯生きることが
大切なんだと思う。

自分自身とうまくやっていく術をしらなかったので、父は家族とも他人とも
不器用な生き方をしてしまったのだと思う。 母が生きていたときはその
色々と欠けていたところを要領よく補いながらなんとかやっていたのだと
思う。そしてその母に悪い言い方をすれば完全に甘えていたところが
あったのだろう。

ひとつだけはっきりしているのは、彼なりに苦しみや後悔や色々な気持ちが
あったと思う。でも、もう考えなくてもいいということだ。 死ぬということは
そう悪いことではない。

お父さん、今生のお勤めご苦労様
おばあちゃんやおじいちゃんやお母さんに会えるといいのだけどね。
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by mi-chanlucalu | 2010-05-03 06:45 | 生きること

カラオケしたり、料理したり、ヨガもして・・・

昨日の晩は久々のカラオケの集い。
なんと全員で9人の中年女性が集まりました。
すご~ぉ 笑って歌ったのはいいけど、いつもどんなに遅くても10時半
には寝ている今日この頃、最後の方ではかなり眠気が・・・・
ところが家に帰って真夜中でなかなか眠れなかった。

はぁ~

でも楽しかった。

カラオケが楽しい、というよりなんでも楽しい。

最近はやっといろいろ料理もせいがでだして、ヨガの方もスペシャルニーズの
クラスに入れてもらい、なんとこのクラスは無料!なんだわ。
本当にアイエンガーヨガのメンタリティーはありがたい。
いっぱいシニアティーチャーいるうえに、一人一人の病状や怪我、手術後とかに
あったポーズを提供してくださる。

本当にありがたいクラスです。
私はまだヘッドスタンドとかをあんまりやってはいけないと釘さされていて
「乳がんにはこういうポーズが効果的」みたいなのを教えてくれます。
このクラスは本当に学びが多くて、ティーチャートレイニングの
一貫としてもボランティアをしなくてはならない必須に入っているんだよね。

あ~ありがたい。私はそれを受けているのだからやっぱりありがたい。

毛は全然のびなくて、いまだに枕カバーにかなりの量の抜け毛がある状態
で、つめの黒さも全然そのままなのだけど・・・もちろん右胸はなかなか
膨らんでこないし・・・・(膨らむかもよ~)

でも楽しくて、ありがたくてしょうがない毎日。

以前以上にわくわくの日々を送っております。
何故そうなのかを書くと多分恐ろしく長くなりそうなので割愛しときますわ。

ブログのアップがあまりされてないとある方から言われ、ちょっと書いてみました。

元気ですよ~! 連絡してくれてありがとうね!
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by mi-chanlucalu | 2010-01-24 11:42 | 生きること

子供との笑い

子供たちを風呂に入れて、彼らのからだを洗ってるとき
ふとアンパンマンの歌をうたいながら替え歌してしまった。

「そうだ、おそれないでみーんなのために
ち**ん、おしりはくさいのさ~」

これが二人にばかうけ!!!

もう二人からリクエストばんばんで3人で笑い転げ、
 「つぎ、みらのばん」「つぎ、るか」 とやるのだけど
ママのがおもしろくて何度も「ママうたって」とねだる。

もうだんだん私も歌詞もだんだん色々と気合が入ってきた。

3人で笑いまくった楽しいお風呂でした~。

(どんな親やねん)

いやぁ~
こうやって子供といるときは一緒になるのが一番楽しいよね。
(からだが大きすぎるからカウチはジャンプできへんけどさ)

笑わしてやろうとか、遊んでやるんじゃなくて、自分が子供と楽しんでしまう。

彼らといると子供のころ、本当に「今」しかなくて、それをいつも思い切り楽しんでいた
ことを思い出す。

ありがたい。

大人になると過去を反省しながら未来を心配することが多すぎるんじゃないか?

「今」に生きよう。 子供でも大人でも対面しているのは「今」しかないのだから。
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by mi-chanlucalu | 2010-01-11 14:31 | 生きること