カテゴリ:生きること( 36 )

無力

サリン事件の後

津波と地震の後


人は自分の無力さを感じずにいられない。


なくなった人を救えなかったことや

その親戚や友人


そしてボランティアをする人たち。



みんな

なにかの力になりたい。



自分が役に立てば


苦しんでいる人の力になれば


考え、ことばを探し

何かをしようと・・・・・でも



生きたくても生きられなかった人たちを


よみがえらすことはできない


お父さんを、お母さんを、夫を、妻を、子どもを

残された人に返すことはできない



人間とは

なんと無力で弱いいきものなのだろう



その放つことばさえ


なぐさめにはならない





あの人は私が悲しみ沈んでいくのを見たくないだろう


でもどうやってあの気持ちに戻れると言うのだ?


太陽が顔を出しても

外に出る気がせず

「なにか楽しいこと」を計画しようとさえ思えない




もしかしたら

どこからかもどってくるんじゃあないかと


そして


そうじゃあないのなら


せめて

あなたのところへ


いきたい
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by mi-chanlucalu | 2012-02-25 22:13 | 生きること

できるなら、それが・・・


にげたい

全てから


もう

何にも向き合いたくない


何も学ばなくてもいいから



からだの重さから


責任の重さから



逃げることができたら










どんなに・・・・

私は
強くない


自分の中のこころの傷は常に

血をながしつづけ


その痛みをひきずりながら


どこにも行くことができない








深い深い海の底に沈んでしまいたい


高い遠い空のかなたに消えてたい




ただ
それが
できるなら・・・・


わたしのことを強いとほめないでほしい
大丈夫ときかないでほしい
眠れてる?と食べてる?ときかないで
これからどうする?
家はどうする?
こどもはどうする?と



なにもきかないで
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by mi-chanlucalu | 2012-02-25 14:51 | 生きること

無題


生まれることは始まりでなく

死ぬことは終わりではない

全ては変化し続け

とどまるものはなにひとつない




ことばで気持ちを表現する人間には

いつかそのことばの力に限界を感じ

それから解き放たれたときに

本当の自由を得ることができるんだろうと





生まれる準備はできるのに

死ぬ準備が

出来ている人がこの世にどれだけいるのだろう






彼は

自分が死んだことを

しっているのだろうか



彼の魂と私の魂が

彼の死を

受け止めるまで

わたしは

供養を

し続けるだろう
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by mi-chanlucalu | 2012-02-20 02:43 | 生きること

これでいいのか、Happily Ever After

・・・・そしてみんないつまでも幸せに暮らしました。 The end.

これは全てのディズニーのお話しの終わり方である。

リトルマーメイドではアンデルセンが書いた「人魚姫」も主人公の人魚は最後は泡
とならずにエリック王子と結婚までしてしまうとドラスティックなチェンジがある。
もし今アンデルセンが生きていたらこの結末を変えることに承知しただろうか?

だいたい映画とかでもハッピーエンドじゃないと観ない傾向を作っていたのはあの巨大な
アメリカ合衆国のお国柄ではないんだろうか。私はある時期から、あんまりにも予想が
できてしまいすぎるアメリカ映画に飽き飽きしてヨーロッパとか他の国の映画ばかり
観るようになった。

たとえばイギリスの映画ひとつとってみてもだいたい俳優、女優からしてリアルで
ビューティフルピープルが主人公でないのがほとんどである。そして内容もまったく
予想できない結末に終わるものもあれば、まったく日常生活のように何もなく終わる。

最近アメリカでもそういうびっくりするような(主人公が死ぬ)終わり方を作る人
もでてきたけど、そういうのは一部の人にしか受けないような気がする。

少し前に「かちかち山」を子どもに読んであげていた。すると内容が変えられている
のに気がつく。まず、たぬきがおばあさんを殺さなかった。そして最後はうさぎもたぬき
を殺さずにたぬきがおじいさんとおばあさんに謝りHappily ever afterなのだ!
本の最後に「内容を少し変えました」と補足説明があったけど、これでいいのだろうか?

私は「まんが日本昔話」を毎週土曜に見て育ったけど、あの一話15分のなかに色々な
学びがあったような気もする。すごい怖い話しもあったし、かちかち山ではやはり
たぬきはおばあさんを殺してしまうのだ。生きていくとはそういうことなのだ。
いつも死ぬこととは背中合わせなのだ。昔の人たちがお話を通して何か伝えようと
(それが無意識であるにせよ)したことを簡単に変えてもいいのだろうか。

マッチ売りの少女の話しを聞いて6歳の子どもたちは自分は少女のようにマッチを
売らなければお父さんにぶたれることもなく暖かなベッドで眠れることに少しでも
感謝の気持ちをもつのではないのだろうか。そういう貧乏な子供が現実の世界に
あふれている事実を感じるきっかけにもなるのではないのだろうか。

人魚姫はお姉さんたちが持ってきてくれた剣で王子様を殺さずに自分が泡になる
ことを選んだというその自分中心でないこころを考えることを与えれるチャンスを
結末を変えることでまったく失ってしまったのだ。

こういう元もとの話が子どもにとってはきつすぎると思う人たちは「死」は「悪」
なのであろうか?いつも悪者が死ぬというのもそういう偏った考え方の象徴の
ような気がする。ほとんど全てのハリウッド映画のように。

私が子どものときまだディズニーはリトルマーメイドを作っていなかったので
(多分)私はアンデルセンの「人魚姫」が泡になって消えていくことにすごく
悲しい気持ちになったと思う。お姉さんたちの剣をとってあのアホな気づかない
王子を殺してほしいとこころから願った。でも彼女は自分が泡になることを
選ぶことで王子への愛を守った。究極の愛のお話なのだ。

本当のお話の内容や結末を変えることでこの世の中が子どもにとってよく
なってきたとは思えない。子どもの数が(先進国では)少なくなって、子どもに
残酷さを教えないことが美とされるような傾向もあるのはちょっと過保護に
すぎるのではないだろうか。

私たちの中にある悪や無力感や死に対する気持ちやもっともっと複雑な
人間の意識はいつもいつもハッピーエンドのストーリーだけで語れない
のである。

それとも私が小さなことに細かすぎるのだろうか。
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by mi-chanlucalu | 2012-01-30 02:25 | 生きること

マッチ売りの少女

昨日の夜のみらチョイスのお初ストーリー
アンデルセンの「マッチ売りの少女」

読みながら、内容を思い出し、こころのなかで
「あ、これはやばいかも」

案の定、少女がマッチをする度に見える幻影の暖かそうなご馳走や
家のなかのクリスマスツリーが少女に見えることが双子たちは
不思議でならない。

「なんでみえるの?」
「そう、おもってるの?」
「それはほんとうなの?」

などなど質問攻め。

幻影などのひとことで分かる歳でもなく英語でイルージョンと言ってみた
ところで何のヘルプにもならず、

「ひとは死にそうになったら見えないものが見えたりするんだと思う。
ままもはっきりしたことはわからないけど」

の、ようなことを言ったと思うのだけど、なんせ最後に少女の大好きなおばあさんが
現れて少女を連れて行ってしまうところなどを読みながら自分が涙しそうになるのを
こらえているあいだも彼らは真剣に話しを最後まで聞いて終わってもまた
質問だらけ。

ときおり、子どもたちと死についての話しをするときがある。それは私が教えようと
持ち出さずとも、彼らがすごく真剣に考えることのひとつである。

私は仏教の教えで育ってきたので輪廻転生を当たり前のように語ってしまうのだけど
学校へ行っていない彼らも学校へ行っていたころは誰かから「死んだら終わり」と
言われた、というようなことを話していたことがある。

死んだマッチ売りの少女が生まれ変わることについては聞かれなかったけど
さすがに眠るときの彼らはちょっと悲しそうで そういうかわいそうな子がいる
ことが腑に落ちていない様子だった。

自分のこの子たちに対する愛を思いっきり込めながら少しでも楽な気持ちに
なるように子守唄をいつもより気持ちを入れて歌った。

マッチ売りの少女はどうしてあんなマッチなんかをお金持ちの人たちの通る
場所で売らなければならなかったのだろう。そんな少女を見て誰も助けて
あげようとは思わなかったのだろうか?アンデルセンはこの話しを通して世の
無情を語りたかったのだろうか?

マッチ売りの少女よ、天国で大好きなおばあさんと幸せであれ。
みらがバービーはもういらないのであげるそうです。

雪の中ボールを投げてもらうのを待つカイ。きっとマッチ売りの少女のような
立場になっても一番長く生き残るのは彼だろう。
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by mi-chanlucalu | 2012-01-28 10:48 | 生きること

外は雪な今日この頃

ここ3日くらいちらほらと雪が降るようになった。でもたいした量ではなくてふわっと粉が
かかった程度だったけど、昨日の夜ちょっと積もりそうに降っていた。
「しんしんと雪が降る」っていうことばがあまりにもぴったりな夜で外灯の下で
降り続く雪をずっと見ていたかったけど、夜もかなり更けていたので明日はどうなるか
を楽しみにベッドに入った。

子どもたちが起こしに来て(なぜか目覚ましが鳴らなかったし、ルカがおねしょをして
それからなかなか寝付けなかったから)すぐに外を見るように言ったら
[うわ~お~!!It’s like a Christmas!」とか何とか叫んでいた。

実際、昨日ちょっと積もってもそうだっただけど、雪を見ると触るとか遊ぶとかっていうのは
自然に子どもに起きる行動なんだろうなぁ。なんか海に連れて行くと(まあ湖でもなんでも
いっぱい水のあるところ)絶対入る(冬でも)ような感覚に似ているんではないんだろうか
とちょっと思った。山があったら登りたくなる、のもそういう何か自然にひきよせられる、
それこそ無意識にやってしまうことなんだろうと思う。

まあとにかくそんな人間と自然の関係を崩したくないので、私も何することなく彼らの
写真を撮りながら、仕舞いには自分もスキーパンツとかをはいて外へ出て暖炉用の
マキを箱に詰めたり、雪だるまを作ろうとしたり、あげくのはてにはソリを車に積んで
近くの広場へ行った。これで午前中が終わってしまった。

こういうことはホームスクールならではできることだ!とか思うんだけど後で私の方が疲れて
なんか[お勉強]っぽいことは何も出来ずに今日は終わるんだろうなぁなんて考えながら
みんなでおいしいあったかいご飯と味噌汁を食べているときは至福のひと時だったので
もう、この後私が疲れてこどもをいつものようにほっといてもいいやって気になってしまう
のである。ええぇい!小さいときに遊ぶだけ遊んで何が悪い!と開き直ってしまう私なんだけど
なんだか今私より全然疲れていない二人は2階で本を読んで(日本語を声だして)いるような
のでま、それが「学びじゃない~!!」と感動しておこう。

なんか本当にありがたいなぁ。
こういう寒いときに、たとえば雨が降って寒くてとか、こないだの暴風雨のときなんかにも
ひしひしと感じるんだけど、家があってそこに暖があって寝るベッドがあっておいしい
食べ物がある。子供たちもだんなも元気だし、いくら自分からこのまま痛みが消えなく
てもすごく幸せでありがたいと思う気持ちは変わらない。

最近とくに子どもと長い時間一緒にいて、彼らの言動一瞬一瞬が感動的でぎゅ~っと
抱きしめたくて、んでそういうことを感じているあいだにその一瞬一瞬がどんどん過去に
なっていくのをこれまたひしひしと感じる。まるで音を立てて彼らが成長していっていて
ジャックの豆の木みたいにあっというまに大人になってしまうんだろうかと思ってしまうので
とにかく一瞬一瞬をぎゅうぎゅうしぼって味わいながら暮らしている。

痛みはずっと存在していて、よくも悪くもなっていないというか、すごくひりひりと脇の下が
痛むとか右肩が今こうやってタイプしていたらだんだん痛くなってきたりもするんだけど
何かもうかなり長いこと付き合っているのでもうなんかからだの一部というか、まあきっと
からだが今なんか調整しているんだろうくらいに考えて、きっと無理しなければいつか
もっと健康な痛みのないからだになるんだろうとか気楽に考えている。

実は昨日のヨガのクラスの後ずっと痛かった右の腰あたりがかなり楽になっていて
「これは、もしや・・・」とか思ったんだけど、朝起きたらまだ居たので、ま、気長にやりま
ひょ~って感じで今朝も右全体ほぼ痛いながら子どもとそりしたり雪だるまを作って
いた。こういうことが痛いながらもできるんだからやっぱりありがたいよ。

今は太陽がでていてこの家もとっても明るい。子どもたちはそれぞれ違うことをもくもく
とやっていて、まあなんて静かな午後、至福・・・。と思いながら今日はこの辺で。

今年はトランポリンをしまわなかったのでこうやって雪だらけ。これも楽しいことのひとつ。
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雪だるまを作り出した二人。遊び方も成長している。
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雪をかなり食べたルカ。食べだしたらやめられない。みらも参加。
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スノウエンジェルぅ~!! 私も広場でやった。気持ちいい~!
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まだまだ雪が足りないのでそりはそんなに早くすべらなかった。でもかなり楽しめたよ。
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by mi-chanlucalu | 2012-01-17 05:27 | 生きること

このごろは・・・

今年の4月はとにかく寒い。
もう半ばも過ぎたのに、気分は春といえる日はあんまり、というかほとんどなくて
人々のこころもなんとなく閉ざされたままのような日々が延々と続いている。
もちろん、日本の地震や原発の影響も、ここビクトリアの日本人の気持ちには
多く影響している。

昨日日本人会などによる3度目のファンドレイジングがあった。
私たち家族も午後はほとんどそこで時間を過ごした。
みらとるかは寄付によるガレージセールで気に入ったおもちゃを見つけた
ようで、家に帰ってもずーっとその古新しいおもちゃで遊んでいた。

私は午前中に行った鍼灸の治療のせいもあって、一日中ずーっとだるかった。
最近忙しかったせいもあるだろうし、ヨガでの無理もあってか、手術した方のわき、腕
胸がずっと痛かったのを治療してもらい、トランポリンで無理して痛めた腰もかなり
いらったので、疲れがでて家に戻ると速攻横になってしまった。

今日はそのだるさはとれたし、またボランティアのヨガクラスへ行ってきた。
最近、自分の訓練の時間があまりもてなくなるほど、教えたり、クラスをとったり
しているので疲れはでている。

現在パパが子供とかいを外へ連れて行ってくれて、一人でヨガのペーパーワークを
していた。この静けさがあるうちにヨガ時間をとろうと思う。
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by mi-chanlucalu | 2011-04-17 06:51 | 生きること

原発、これからの日本人のゆくえは?

3月11日に起きた東日本大地震、津波・・・そしてたくさんの被災者のゆくえと共に
心配されている原発の事故とその処理。

原発のことについては、色々な人がいろいろなことを言っています。
本当のことは、個人個人が情報を判断して、どう信じていくかということでしょうか?

下記、とても沢山のニュース以外の情報です。私がとっているメルマガの稲田陽子さんから
のものですが、興味があればどうぞ。 そのなかには関東では放映されなかったTVもあり観るだけで(聴くだけで)わかりやすいものもありました。

ここから入れます。

彼女の言うように日本人はタイタニック号に乗っているのでしょうか?
私にできるのはそうでないことをひたすら祈るのみです。
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by mi-chanlucalu | 2011-03-25 09:00 | 生きること

ポテンシャルと無心さ

もう11月も4日間が過ぎた。

私のヨガを教える練習も週一回で6回くらいを終え、先生に英語の発音や
コマンドワードをもちっとがんばりなさいと言われながらも、とても楽しく
やっている。できないことを少しづつでも克服していくのが好きなのだ。

そして、ここ1ヶ月くらいのみらとるかのやる気とやれることを
通しての子供の脳内に起こっている事に驚かされるばかりの毎日でもある。

いつのまにか、ひらがなで名前がふたりとも書けているし、英語のスペルや
もちろんアルファベットも名前は書けていたけど、それ以上も書けるように
なっている。 数字を習ったのか、家で何度も何度も数字を見ては発音
しているし、日本語学校の宿題では物足らず、もっと練習したいと言うので
紙をだしてやると、何度も覚えた字を書いていたり・・・。

あぁ~脳が吸収したがっているのか、それ以上のものが思い出したがって
いるのか・・・とにかく私の方がついていってるって感じでさえある。
 
私は親に「勉強しろ」とも「運動しろ」とも言われずに育ったので、彼らにも
何も言わない。っていうか、幼稚園へ行くのさえすごく行きたくないなら
行かなくていいやって思っていたくらいなので、彼らの覚えぶりを見て
5歳の子供の脳ってすごいと感じずにいられない。

るかにしてみれば、幼稚園にしろ日本語学校にせよ「いきたくない」と申すわり
には、やるべきことをあんまりみらと変わりなくか、かえって実羅よりも
うまくやっていることが多い。

そういう彼らを観察していて、他方のお母様たちが子供にいっぺんに色々
お稽古事をさせるのも理解できるようになった。だって彼らにはできるんだ
もの。(ただ経済的な問題もあるよね。こればっかりは)

彼らは小さいからだに無限の可能性を秘めているのだ。

そのうえもう少し大きくなったら思うような「こんな数学なんてしても
将来何の役に立つねん?」みたいな結果を考えずに、ただやっている。

いいなぁ~!!!大人もこうでありたいよ!!

なのでやはり私は自分の子供から学んでいるんだ。
たまたま読んでいたバガバットギータの一偏にもそのことに触れていた。

とりあえず与えられた、またはじぶんが選んだことを淡々とやりこなしていく。
そしてそれが楽しければ問題ない。結果に束縛されない。
彼らは騒がしいようでいて本当は、時には、大人より静寂なこころを
もっているのではないのだろうか。
つまり、子供のことをよく「無心な」と言うのだけど実はそういうことなの
ではないのだろうか。

私も「無心」なころがあった。
そして知識や経験や記憶やらが「無心」を追い出してしまった。
今、ある意味で「無心」な時間を作るためにヨガをやっている。

こどもたちよ
無心でいて
でも、あなたたちがそのことを忘れたとき
わたしがまだそばにいられたら
きっとあなたたちはこうだったと
教えてあげられるから
そのときまで
わたしのいのちが
あなたたちとともに
つづきますよう・・・・
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by mi-chanlucalu | 2010-11-04 13:07 | 生きること

Translator 再び

やっとインディアンサマーみたいなのが10月にはいってやってきた。
暖かい日差しは湿った人々のこころを明るくするのがそれぞれの
表情にでている。もちろん犬や子供も太陽が輝いているだけで
幸せになれる。

そんなある木曜日にまた電話が入った。
再び通訳のしごと。
金曜の2時に警察でとのこと。
月曜から彼女の事件の経過を新聞会社のウェブサイトで
チェックはしていたものの、もうとっくに他人事だったのに・・・。

ほっとしたのはBC州の通訳における認証はそれほど厳しくなく
判定裁判くらいにまでならないと必要ないらしい。
ので私が警察で通訳するのは合法とのこと。よかった。

実はこの日、本当は保釈審問が裁判所である通訳も頼まれたの
だけど、どたんばの朝になって他の人がやるからとキャンセル
になった。そのための専門用語も勉強したのだけど、ほっとした。
被告人である日本人女性の側の弁護士チームに日本語が流暢
にしゃべれる人がいるらしい。なるほど・・・。

で、私は午後に日本からついたばかりの彼女のお母さんが警察に
インタビューされるのでその通訳。こういう場合は私は警察側に
雇われているけど、中間の人間になるので被告側の弁護士を
雇えないわけだ。

この面接は1時間ほどで終わった。私ならもっと質問するよと
いつも思うのだけど彼女も彼女の母も殆ど何も聞かずに
聞かれたことに応えるだけだった。

被告人はこの日裁判所で1万ドルで保釈が決まり、一応自由の身と
なっている。ただ条件としてカナダを出られない。パスポートを法廷
側で保持されることになったからだ。

ホームステイは変わり、今は学校側が違うホストを見つけ日本から
来た母と祖父と一緒にいられるそうだ。

私といえばちらっと通訳会社のインド人に会い、彼がわたし用に名刺を
くれて、また来週(通訳の)トレーニングするから連絡すると言われた。
これも何かの縁なのだろうし、今回は色々勉強になった。
月曜に急だったとはいえ、全く知らない私に通訳を任せて
くれたことに対して彼にはとても感謝する。 私はそんなインド人の
「なんとかなるさぁ~」みたいなところをよく知っている。 インドを旅して
いて一番心に残ったことばが「Everything is possible in India」
だった。彼らはインドでは何でも可能だというのだけど、きっとこれは
意識しだいでどこでもなんでも可能にできるという思想からきている
ような気がする。私はこの通訳の2回とも堂々としごとをした。
シェイクスピアも「人生は舞台」と言ったのではなかったか。
演じればいいのだ。ものごとは全てうまくいくようになっているんだ。
考え方しだいで。

思い起こせば昔英語の勉強を始めた一つの理由が通訳か翻訳を
しごととしたかったからだった。2年間通った専門学校で英語科を
とったときも通訳と翻訳を取っていた。ただある日ラジオかテレビで
こばやしかつやがかつて通訳をしていて、その大変さに辞めた
話しを聞いて「ふーん、そうなのか」と思ったのを覚えている。

あんまりこだわりのない私はその後もいろいろな人に出会い、韓国へ
ボランティアキャンプへ行ったり、アメリカ、インドへ一人旅したりして
ことばを覚えるのは早いし、知らないことばを覚えるのは好きなことの
ひとつだけど、それをどうこうしようとは思わなかった。

ただ翻訳や通訳に関わっている友達と話したりすると、そういう昔の
気持ちがまだどこかにあって「いいなぁ そういうしごとやりたいなぁ」
なんて思う私がいるのをいつも感じてはいた。
まだ小さな小さな火が消えてないのかもしれない。

だから今回通訳するのはとても楽しくやりがいがあった。

今ヨガのインストラクターになるトレーニングでサンスクリット語との
関わりは必須である。全てのポーズはサンスクリット語で言える
し、もちろんその意味も知っているのが先生になる基本だ。もう10年
以上やっているので殆どのポーズの名前はマスターしている。

私は本当にことばが好きなんだと思う。だから今こどもたちが
週一回でも日本語学校へ行って日本語をキープしていくことも
大事なことの一部だと思う。もちろんどうなるかは全くの彼ら次第なの
だけど、機会を与えることは親の責任だと思っている。

今日は土曜日、こどもたちは時間にしばられない週末の朝をパジャマ
を着たまま遊びに夢中である。私がこうしてゆっくり思うことを書ける
時間がもてるようになったことに彼らの成長を感じる。

先週末はヨガのワークショップで2日ともいなかったので、今週末は
こどもたちと一緒に過ごそうと思う。
どこに連れて行ってあげようかなぁ~。
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by mi-chanlucalu | 2010-10-02 00:42 | 生きること