カテゴリ:生きること( 36 )

自分で治すことについて語る 1

カナダに戻ってから6日めの朝。
気持ちがやっと少しいつもの自分的なものになり始めたようだ。
痛みと疲れとで毎日どろどろの日々なのに荷解きはままならなず、することは山ほどあるという日々。子どもや犬はある意味いるだけでしごとなのだ。ほんの数ヶ月前までは一緒にやってくれている人が今いないという現実にさらされながらこんな気持ちになったことのない自分との対面においても、前へすすむ上で足をひっぱられることばかりだ。

安曇野のマッサージで痛めてしまった首をあわせると確実に増えていた痛みを抱えて、治してもらえる期待にわくわくして行った鍼灸では私の思ったほどのいつものからだ全部にまんべんなくしてくれる鍼治療はなく、私の疲れた体を気遣ってか、私が遅刻していったからか、治療はかなりあっさりしたもので終わったので痛みが激減することはなくある意味肩透かしに終わってしまった。

次の日に痛みを抱えたからだで友人一家のところへ遊びに行き、みんなでビーチを歩いていると歩くのが困難なくらいの激痛が走り、ゆっくり歩くことさえ耐え難くなった。考えられる箇所をマッサージしたり押さえたりしても痛みは去らず、みらが見つけた杖をついて歩くしかなかった。

その夜とにかくこれではいけないと、熱い風呂の後、刺絡と灸の治療をした。刺絡も合う体質があるらしく私は今のところ気づくような痛みの緩和はないので足から首まで痛いところに灸をした。夜中にトイレに起きて数歩は全く無かったのにあの激痛が襲ったので、これはと思い、鍼灸師がはってくれた内鍼(シールがついた小さい針)を抜いた。以前ものすごく痛いところに内鍼がはいったとたんに痛みが激増したのを思い出したからだ。
今回は貼った後すぐ鍼灸師が骨盤がまっすぐになってると言っていたし、痛みが増したわけでなかったのでそのときは気づかなかったけど足の付け根の恥骨の近くの微妙な箇所なのでいがんだのかもしれない。

とにかくそれであの激痛は昨日一日起こらなかった。機能は家事することで一日が終わった。犬と子どもは友達が連れ出してくれた。そして昨日の晩も灸治療をした。その後、ものすごい違いですいすい歩けた。
灸は鍼とちがって即効性がないはずなのにものすごく楽になって今まで一番普通に歩けたのだ。

今朝は首もかなり楽なっていた。もちろん鍼灸師のしてくれてた鍼の効果もあるんだと思う。今回はただもろもろの理由で以前のような治療にならなかっただけだと思う。
ただ私がかなり大きな期待と彼女なら治してくれるという『依存』みたいなものがあった。
だからといって自分のやった灸だけで楽になったのだと言いたいわけではない。最近は痛みたちとも付き合いが長くなってきて色々なことが分かってきたのだ。痛みには色々な種類のものがあるし、痛いところだけを扱うことが正しいことじゃないことなどは前々から分かっていたにしろ、その性質とか度合いとか、こういう痛みが起こる理由とか対処とかいったものだ。自分がこれだけ痛みを経験しているので人の痛みの度合いのようなものも分かるようななってきた。痛み専門家の初級の認定くらいはもらってもいいくらいだ。

癌にしても痛みにしても否定的にとらえるか、それから学ぶかによって大きくその人が変われるのだ。

今回かなりの苦痛を味わった。でもそれによってそれからどうやって逃れるかを考えることで学べるし、学べれば前へ進めるのだと思う。どうにかしようと思う。そしてどうにかできたりしたときに自己治療が起こるんじゃないかと思う。すべては内から外へ向かわなければ。『与えられる』ことより『引き出す』ことなのだ。
いろんな種類の治療があるけど、私はこの基本的な個人がもつべき姿勢は共通するのではないかと思う。

例えば私がいつまでも自分の鍼灸師がすぐに痛みを緩和してくれなかったと嘆いていてもきっと痛みは治らないし、もしかしたらひどくなっていたかもしれない。それはそこに留まる姿勢だ。でも、そうでなくどうしてこんな痛みが起こるのかどうやったら自分のできる範囲でどうにかできるかを考えて行動してみる。自分の子どもが溺れていたらレスキュー隊を待つだろうか?泳げなくても助けようとするのではないか? 明日死ぬと決まった人ならきっと何でもするように。

人間はそう思うことはほとんど可能になるものだと信じている。自分で治療することはそのひとつにすぎないのだ。私は深く自分の可能性を信じる。今ある痛みはいつかなくなり、きっと以前のように少しくらい重いものを持ち上げたりするような普通の生活ができるようになると。たとえ癌とは共存していても。
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by mi-chanlucalu | 2012-07-23 03:43 | 生きること

生のバルド

20日に戻ってからコンピュータと熱い仲。
いい加減開放しないと、と思いつつこの4日間。
かなり今までにないくらい長時間密接だった。
こどもが延々と二人で楽しく遊ぶのをいいことに
読む、書く、調べるの連続。

そろそろいやにもなってきた。
昨日はちょっとそれでさみしくなった。
誰もしゃべる人がいない・・・。

友人に電話。10時ごろ。
彼女からも実はがん治療に対する情報を得てしまう。
感謝。 探し物は今日は見つからなかった。
でもきっとそのうちもっと動きがあるだろう。
私ももっと動き出すのだろうし。

チベット生と死の書より 現世ー生のバルドからの抜粋

《神々の生の質はわたしたちの人間のそれにまさっているように思えるかもしれない。だが師たちは、人としての生こそ比較にならないほど貴重なものだという。なぜか? なぜなら、わたしたち人間は悟りの素材となる気づきと知性をそなえているからである。
人間世界に満ちみちている苦しみそのものが、わたしたちに精神的変容を迫るからである。 痛み、悲しみ、喪失、やむことのないさまざまな落胆。 これらは本物(リアル)で劇的な目的のためにあるのだ。
わたしたちを目覚めさせ、輪廻の輪を打ち破ることを可能とし、むしろ強いて打ち破らせ、閉ざされた輝きを解き放つという目的のためにあるのだ。
この人としての生がかけがえのないものであり、思いもよらない潜在的可能性を秘めていることを、すべての宗教的伝統が力説してやまない。 今のこの生があたえてくれている変容の機会を逃すと、次にその機会を得るまでにどれだけの時間を待たねばならないか知れないのだと、それらの伝統は語る。
盲目の亀が一匹、宇宙と同じ広さの海の深みを漂っている。海面には木の輪がひとつ、ぽかりと浮かんで波間に揺れている。 百年に一度、亀は水面に顔を出す。人として生まれるということは、水面に上がってきたその亀が偶然木の輪のなかに首を突っ込むよりも稀なことなのだと仏教は説く。そしてさらに仏教はいう。
人としての生を受けても、教えに出会うという途方もない幸運に恵まれる者はされに稀だ。 そのうえ、教えに出会っても、それを行為として体現するほど深く参入するものはそれ以上に稀だ。
「昼間に見える星」ほどに稀なのだ、と。》



私が今むきあっていることは正に、リアルで劇的な目的のためにあるとしか
いえないと確信している。 各自の精神的変容なしで進化はできない。

人が生まれてくるのが、今生きていることが本当に奇跡だと気づいたのは
乳がんが診断される前だったけど、実際それをこの3年ひしひしと感じながら
生きてきた。その気持ちが最近さらに深くなる。

すべてにまさに全てに意味があるのだ。
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by mi-chanlucalu | 2012-04-25 07:10 | 生きること

ハワイにて

再会があり
出会いがあり
学びがあった。

癌が骨に10箇所以上転移しているのを知りながら
ほとんど治療というものをせずに、ただ今後を考えながらの
たった10日の旅。 痛みはいつも私が癌だといういうことを
リマインドしていたけど、子どもや友人と共に全く考えない
瞬間を増やすことに専念していた。

彼の不在をふとしたきっかけで感じるときはあったけど
彼の灰をあの信じられないハワイアンブルーの海に撒くこと
もイルカとかなり近くの距離で泳げたのも全て
なしとげることができた。

子どもたちはもちろん彼らの友人との日々や海やその他の
色々な出来事を楽しんだけれど
昨日カナダに戻って、3年前日本から戻ったときのように
自分の家と自分のおもちゃたちと延々と遊んでいた。
おうちがいい、おうちがすきと何回が言いながら・・・・。
ハワイもいいけど、おうちもすきって言うコメントもあったなぁ。

亡き人のことと癌の転移の現実にさらされながら、私は今までとは
全く違う南国のたびだった。これでまた
『すべては自分が起しているという』真実に触れずにいられない気もした。
もちろん、子連れであることや全く知らない土地を初めてレンタカーで
毎日ドライブしたことでかなり疲れていたので戻ってからはとにかく
眠った。

子どもたちは今日も相変わらず二人で延々と遊び笑い楽しんでいるので
私も簡単な夕食を作り赤ワインを開け、音楽と踊りながら楽しんだ。

あしたはなにする?
がみらの寝る前のよくある質問。

さあ、あしたも楽しいことをしよう!でもとりあえず寝てから。

子どもたちは学校へいっていない。
ホームスクールというものでさえ全くである。
彼らは今はアンスクーラー。 自由そのもの。
何か勝手に学んでるみたい。

それもよし。








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by mi-chanlucalu | 2012-04-21 14:03 | 生きること

震災から1年、私にできること

おとといの晩
ふっとつけたJapanTVで
震災から1年での特集をやっていた。
ボランティアの消防団員二人のインタビュー。

一人の人が
「自分の奥さんが生きていれば何もなくなってもなんとかなる」
と当時思ったことを話していた。
そして、彼の奥さんと子どもは無事だった。

もう一人は団長をしていた人。
彼の奥さんと娘さんは亡くなった。
でも彼は
「自分は納骨までできたらね、他の人(からだも見つかっていない遺族)
申し訳なくて・・・」
と語っていた。

私の涙はとまらなかった。
でも
いい涙だったと思う。

その夜
多分これは想像だけど私の無意識が動き
朝になるころには「こうしよう」というひとつの
行動が生まれた。

オンラインで
あしなが基金に寄付すること。

この基金は日本の孤児、世界の孤児
今では1年前の被災地孤児のための
募金活動などを行っている。

海外からでもVisaで寄付ができる。

私は今直接いろんな人に助けられている。
たとえわずかでも何かの足しになればと
送った。

これは昨日の朝で
だから
昨日の朝は
かなり元気になれた。

おこがましくも
自己満足な
手伝わせてもらったという
気持ちになれたことに
とても感謝ができたからだ。


「氷点」と「続 氷点」のなかで
こころに残ったことばのひとつに

『愛は感情でなく意志である』とあった。

そしてたくさんあるなかでも

『人が死んだ後に残るのは、その人が集めたものでなくて、与えたものである』と

いうことばにも私のなかにうなずけるものがあった。


そしてこれは聖書のことばからなのだが

『たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために
捧げても、もし愛が無ければ、いっさいは無益である』

というのもこころに残った。ただ、

これだけのことを愛なしに出来る人が
いるのだろうかとも思った。


今日図書館に子どもを迎えにいったとき

ほんの1秒くらいだけど

何か今までなかったようなぐらっときた

感じがあって、そこに座らなければならなかった。


幸い、それだけで運転して家に無事に着いた。


命は、今生きていることは、本当に尊い。

命ははかなく、今生きていることは奇跡なのだ。


1年前に地震と津波で自分の家族が死に、または

行方不明になり、家が無くなると誰が考えただろう。


私たちは若くても、老いていても、家族を亡くしても

家を無くしても、つらくても、苦しくても


生き続けなくてはならない。


生きることは権利ではなく

義務なのだから。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-10 16:11 | 生きること

彼が逝ってしまう前に読み始めた本を
いつからか読み始め
昨日読み終えた。

「氷点」で作者は三浦綾子。
彼女の本を読むのは全く初めてだった。
そしてこの本たちは自分の意志で選んだのでなく
友達によってやってきたのだった。

実は自分で選んで日本からオーダーした本が
やってきたときにはまだ本を読む気力もなかった
ので、それを読みたい友人に貸してあげた。

でもまっさらのその本たちが去ってしまうと
なんとなくさみしくなり彼女に読み終わったら
早く返してね、と言ってしまう。

その間、
また「氷点」を読み始めた。
話のなかの主要人物が命をとりとめるシーンと
いうのが分かっていたので
もう読みたくないな、と思っていたけど
読み始めるとその内容や
死生観にたいすることばに
読み続けずにいられなかった。

私が選んで日本からオーダーしてまで
読みたかった本たちは
なぜかまだうまく読むことができずにいる。

なんとなくその本の伝えたい内容が
分かるだけに、
今の私にはすらすらと読めない。

もし誰かが
「ほら、宇宙のこの大きさに比べたら
人間の人生なんて・・・」って言ったときには
やっぱり
その人を張り倒してやりたいと思うだろう。

その本はきっとことばは違うけど
そういうとても
(例えば地球が私ら次第でもっと
生まれ変われるんだみたいな)
素晴らしいことが書いてある本なのだ。
と思う。


不思議なもので本というものは
その人それぞれにタイミングで
やってくるような気がする。


自分で選んだ本よりも
友人からなんとなくもらった本が
こころに響くことばを見つけることが
できた。



畳を購入するたびが終わってから
かなりひどい脱力感と疲労の日々が
続いている。
今日また本を読み終えてから
いっそうひどいむなしさと
疲労と脱力感のなかに浸っている。
昨日、今日と全くどこかへ行く気分に
なれず行ったらそれだけで疲れてしまう。

眠りは相変わらず浅く
そんなに
アルコールも毎晩飲む気分に
なれない。

いっそのこと
狂えたら
楽なのかもしれないけど
きっと
それができない星に生まれて
しまったのだろう。

毎日の
楽しみというものが
全くない。

以前は
「今日はなんの楽しいことをしようか」と
口に出して言っていた。

掃除機は壊れ
家の掃除もする気がない。

家にずっといると
カーペットの汚さにもなれた。

掃除機を買いに行くのも
おっくうで
また
選ばないといけないのが
面倒だ。

カイは今日散歩へ行かなかった。
誰からもオファーがなかったし
誰かに頼むのが面倒だった。

幸い天気がよくて
庭には出してあげたけど
申し訳ないと思う。

子どもたちもどこかへ行きたいと
何度も訴えてきたけど
まあ、最後には諦めたようだ。



それでも
なんとか
一日が終わった。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-08 20:33 | 生きること

それでも・・・

昨日のバンクとのアポで
結果からいうと住宅ローンの
全ての払い込みが私が計算して
考えていたよりもかなりの小額のペナルティで
できることがわかった。

この事実をペナルティの額と合わせて知ったとき
ほっとした安堵と同時に
異常なくらいの疲れと暗く重い気持ちが
こみ上げ、担当の人が机を離れているときに
そこにうっぷしてしまった。

普通なら「うれしい」とか「よかった」気持ちが
もっと優先するはずなのに
そういう感情が全く沸き起こらなかった。

疲労と暗い気持ちは午後も変わらず
からだの痛みと重なって
ただ眠っていたいと思った。


以前、二人で彼のリタイア後の生活について
よく話しをした。 近くのもっと小さな島に家を
買ってもっと田舎暮らしをするんだとか、
メキシコの家は安いとか。
この家を売れば窓を入れ替えたときのローンも
無くなるし、彼の老後の心配はない、なんて
楽しいことがもうすぐ起こるようなことを
よく話した。

ただ私は自分がいつ死ぬかもというものが
こころにあり、時折彼に
「しごとやめて今どっかへいこうよ」と
すすめていた。
「明日何があるか分からないんだよ」と。

そのたびに彼は
「いや、今辞めたら自分の年金はまだ少ない
でも、6年後だったら全額支給だから子どもたちの
ことも安定だし、だから自分はそんな中途半端
なことはできない」と言っていた。

いつも、なんどきもそうやって家族の幸せを
自分の責任を深く考えていた人だった。

今彼が逝ったことにより、家を売らなくても
ローンが全てなくなる。


命とひきかえなのだ。


命に値段はつけられないけど
そういうことなのだ。

私たちは彼がまじめに働いて
生命保険も入っていて
そういうことで路頭に迷うこともなく
家をすぐ売らなくても
今の状態を保つことができている。

彼は自分の死後も私たちを
守ってくれている。



ローンがあってもいいから
もっとあってもいいから
戻ってきてほしいと
こころが叫んでいる。

Heartacheということばがある。
今の今まで
それがどういうものか知らなかった。
今は
本当に
胸が痛い。
精神的なものが実際肉体的なものを
動かせるのだ。

ローンが無くなることで私のなかには
空しさだけが残った。

それは彼の永遠の不在を意味するのだ。

ああ、あなたはラッキーよ。
そうやって守られているんだから。
ときっと誰かは言うだろう。

私は甘えていると。
もっと大変な人が悲しい人が
世の中には沢山いると。



分かっている。分かりきっているけど
今はどうしようもないこの空しさを
とりあえず今は
このままで。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-04 08:21 | 生きること

るかが毎晩のようにパパの夢を見ているらしい。

たとえば今朝起きての第一声が

「るか、ぱぱのゆめあったよ」

どんなゆめ?

「ぱぱとままとるかとみらがなんかたべてたの」

いいゆめだった?

「うん」


そこにみらがやってきて

「みらもぱぱのゆめみたよ。みんなでスキーいって
るかもじょうずにすべったの」

1月に日帰りでスキーに行った。
みらはすぐに大好きになったけど
るかはどうもからだがそりすぎてうまくできずに
ほとんど楽しめなかったようだ。



私は愛しい人が亡くなってから
彼らが夢にでてきたことはない。

母が14年前に亡くなってから
亡霊でいいから話したいと思いながら
毎日を過ごしていて、妹の一人が
母の夢をみると言っていたことがあった。

私は今も彼女が夢にでてくることはない。

子どもが生まれてから余計にはっきりと
夢を覚えていることはなくなってしまった。

一時期には夢日記を付けれるくらい
はっきりと夢を覚えていた。

この6,7年ではっきり覚えている夢は
あのキモセラピーのときにみた
異様にはっきりと現実味をおびた
お告げのような夢っきりだ。

夢は無意識状態のなかで起こる。
人は訓練によって無意識をコントロールでき
それによって素晴らしいところへ到達も
できる。

夢も見ようと思えば意識的に
どうにかできるらしい。

今の私には感情や無意識を敢えて
どうにかしたいとは思わない。

すべては全くの自然のなかにあり
私もただそのなかの一部で
今は流されるままにいよう。

起こるべくことは
何かの手を加えなくとも
起こるのだ。

生き続けることが奇跡なのだから
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by mi-chanlucalu | 2012-03-03 08:33 | 生きること

3月1日

もう今日から3月

今朝は朝から日が差していて私の
腰あたりに暖かい感触が広がっている。

私たちの家は南向きに窓が多くとってあって
出来る限りの日が入るようになっているので
こういう日は朝からとても明るい。



眠りがあんまりにも浅く
夜中から何度も何度も目が覚めるので
昨日は本を読みながらずっと起きている
ことにした。
すると12時半ごろにルカが
頭が痛いとおきてきた。

これは吐き気のしるしなので
彼が吐くまでボウルを持ちながら
ずっとついていた。

彼がやっと全部吐いて眠った後も
2時くらいまで本を読み続けた。

すると何の気なしに朝まで何にも
誰の邪魔も入らずに眠れた。
みらがいつベッドに入ってきたのかも
知らなかった。

そういった睡眠は短いけど
夜中に何度も起きる長浅い眠りより
朝はしっかり目が覚めていた。


今ホームスクールしていたことはありがたい。
彼らをせきたてて学校へ毎日行かせなくて
いいということはやっぱりひとつ責任みたい
なものがない。でも実際まったく子どもたちは
野放し状態なのでどうか、とも思うけど
彼らに何かをやってあげれるエネルギーが
まったくないのが現状だ。

みらもるかも今回吐いたのは
やっぱりストレスからくるものだろう。
熱も咳もなく、次の日はけろっとしている。

みらがご飯前にストーブの前で
眠ってしまったことや最近やっと食べる
ようになったルカは、長いこと静かだったし
毎日ほとんど食べなかった。

彼らは毎日明るく遊び
私のように何かのきっかけで泣き崩れる
ことはないけれど、きっと小さいからだで
その中の思考でいろんなことを
無意識のなかでも考えている
んだと思う。


子どもたちを見ていることが私の
今の平和である。
だから彼らが一日中週5日も学校へ
行っていたらと思うとホームスクール
の選択は正しかった。

もちろん今の生活がこのまま続くとは
思っていないけど
とにかく今を積み重ねることで
精一杯なのである。

今日は日が差していること、雲が太陽を隠さず
青空さえ見えることがありがたいと思える。
からだの痛みは現実で疲労は消えていないけど
こういう気持ちが沸き起こるのはあたたかい。

明日ではなく今日でもなく
今私はこの朝日を浴びよう
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by mi-chanlucalu | 2012-03-01 09:07 | 生きること

E.T.

曜日の感覚はとうになく、

今日は日曜なんだと思いながら
子どもと3人でE.T.を観た後
ぶらぶらと歩いて近くのお店に冷凍ピザを
買いに出た。

月曜日と気づいたところで
何も影響もない。


E.T.を観たのは何年ぶりだろう。

かなり内容を忘れていた。
彼が死にそうになりドクターとか他の人たちが
CPRとか、投薬とか色々とするシーン。
主人公のエリオットとE.T.とのつながりや
彼が学校でのかえるの解剖をできずに
かえるを全て逃がすシーン。

もちろん涙しながら見たけど
いい映画だった。

E.T.は一回死んだようだったけど
生き返り彼のHomeへ戻っていった。



今朝針灸のアポへ行く途中
タクシーのドライバーが運転席に
ぐったりとしていた。そのために車が
なかなか動かなかった。

みらが
「パパみたいなんじゃない」と
すかさず発言。


ああ、今日の一発。

その後


くずれた

途中また
救急車とすれ違い。



号泣。


最近
諸々のことに一段落をして
緊張の糸みたいなものが切れたのか
またもとのようにからだが
痛み始めた。


骨スキャンは3月に予定されているらしい。



それでもまた
もっと先が見えてきたら

子どもを連れて
彼との思い出のない
ところへ行こう。

3人で
今まで行ったことのない場所へ

私たちを癒してくれるところへ

いつか・・・
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by mi-chanlucalu | 2012-02-27 19:40 | 生きること

Ever so lonely

以前

たばこや酒やドラッグにおぼれる人は弱い人だと
思っていた。

今は

それに依存してしまう、そうせざるをえないような気持ちが
分かってしまう。



子どもがプレイデートに行ったある午後。
メールを書いて掃除しようと思ったのに
まったく力がわいてこずに
だらだらとしていた。

涙はとまらなくなり
やがて声をあげて
泣き始めた。

ひとりになり
それがフリーの状態だと

いつもがまんしていた

「何で?」

がこみあげ、それがことばになり
なきわめくのをとめられない。

昨日はまた
「大動脈解離」をGoogleでひいて
これでもかこれでもかと読みながら
泣き、

やっと気を取り直して掃除機をかけ
ながら泣き、

子どもがいない寂しさに耐えれなくなり
友人に電話して
子どもをなるべく早くつれて帰ってもらうように
頼んだ。


待っているあいだに
今回初めて
一番下の妹に電話した。

「来てよ」

と言ってしまう。


おいおい泣きながら子どもたちが戻ってくるまで
電話を切らずにいた。




その後友達とワインを飲んで
彼らの話しに参加したりしなかったり

でも
本当は
その時間でさえ

うっとおしかった。



もう
ありがたいと
思うことも
なく

ただ

こどもたちが
私の責任でなく
彼らが今
存在しなれば

消えてしまいたい。


食べるものは味もなく
睡眠は
浅く


鬱になる人が
ベッドにずーっと寝ている気持ちが
分かる。

自分もそうしたいけど
こどもを悲しませたくない。




助けてくれる人々が人伝いに私の状況を
全て知っていることにも疲れた。

彼らはもちろん
とても心配をしてくれている。
分かっている。
何か私の助けになりたい。

分かっている。

でも

もう

話題の中心になりたくない。



るかが自分の財布から
ペニーをいっぱい出して

これを噴水の下の水に入れて
願い事をすると叶うんだと言う。

みらが

「そしたらパパがまた生まれるように
戻ってくるように願えばいいじゃん」

と言った。

るかは

怒って




「パパは戻ってこない」と

言った。


全財産を投げ入れて彼が戻ってくるなら
そうするだろう。

魔女と取引して
声がでなくなるとか
足がなくなるとか

それで彼が戻ってくるなら
そうするだろう。


ただロンリーと言うだけで
私のこの今まで味わったことのない感情は
表せないけど、このSheila Chandraの曲を毎日のように
聞き、歌うようになった。

そしてまさに今これを書いているときにみらが

「まま、ままのすきなうたかけていい?」と
やってきた。

今かかっている。そしてみらが合わせて歌っている。


Ever So Lonely:




Ever so lonely

Ever so lonely without you

Ever so lonely


Sink into your eyes and all I see

Love is an ocean

And you for me



Sink into your eyes

Your eyes


Are all I see

Your love is an ocean



An ocean refuses no river

Ever so lonely

An ocean refuses no river



Waiting for the time when we can be alone together

Alone together

Eternally



The ocean, the ocean

Refuses no river



The ocean, your ocean

Refuses no river



Ever so lonely

Ever so lonely without you



Your ocean

Your ocean

Refuses no river
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by mi-chanlucalu | 2012-02-26 09:30 | 生きること