再会と家について

子供との再会に、ただ言葉のない涙が溢れたのはもう2日前の午後。
あの瞬間の子供たちの表情は一生忘れないだろう。彼らはあのとき自分の気持ちを上手く表現する言葉が見つからないようだった。ただただ「まま、ひさしぶり」(みら) 「まま、だいすき」(二人とも)
を繰り返していた。彼らの顔には今まで見たことない色んな気持ちが混じったものがあって、でもまだやっぱり小さいのでそれが精一杯で本当の複雑な心境をうまくは表せないでいるようだった。駅から妹の家までの車中は殆ど無言で、時折私の腕をハグしたり、頭や頬をすり寄せたり「まま、だいすき」を繰り返したりしていた。
私たちはその時再び会えたことだけを感じていたと思う。過去とか未来とかを全く考えない瞬間を三人で共有していた。そこには「何をしていたの?」とか「どうだった?」とか「これかどうするの?」
というような大人が絶対するような(会話)は全く入る余地がなく(会えた)ことだけがあった。

今はまだ退院して2日なのだけど、しみじみと入院していないっていいなあとありがたさを感じながらいる。ここは例えば仮住まいでも、あんなに始めは快適に思えた入院生活よりくつろげるのだ。子供たちのご飯やお風呂や洗い物をすることも、ちゃんとした食事が時間にでて来なくて自分で作るのも楽しいのだ。

入院していたことは、確かにたくさんのプラスだった。でも私のような癌という症状は多分、短期入院ではそんなに大きく何かが変わることはないんだろうと思う。もちろん、そんなことは全く分かっていたので大きな期待はなかった。ただどんな形で入院しても、入院していていること自体がやはり受け身なのだ。癌のような症状を治すには本人が治療に積極的に参加しないと(というより本当は自分で治すという姿勢が)始まらないとしても医院にいる限りは受け身からは出られない。だから私のような我がままで意志のやたら強いやつは18日間の入院生活はかなり長いものに感じられたのかもしれない。

しかし家は有難い。
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by mi-chanlucalu | 2012-06-25 07:14 | 乳がんをめぐる