震災から1年、私にできること

おとといの晩
ふっとつけたJapanTVで
震災から1年での特集をやっていた。
ボランティアの消防団員二人のインタビュー。

一人の人が
「自分の奥さんが生きていれば何もなくなってもなんとかなる」
と当時思ったことを話していた。
そして、彼の奥さんと子どもは無事だった。

もう一人は団長をしていた人。
彼の奥さんと娘さんは亡くなった。
でも彼は
「自分は納骨までできたらね、他の人(からだも見つかっていない遺族)
申し訳なくて・・・」
と語っていた。

私の涙はとまらなかった。
でも
いい涙だったと思う。

その夜
多分これは想像だけど私の無意識が動き
朝になるころには「こうしよう」というひとつの
行動が生まれた。

オンラインで
あしなが基金に寄付すること。

この基金は日本の孤児、世界の孤児
今では1年前の被災地孤児のための
募金活動などを行っている。

海外からでもVisaで寄付ができる。

私は今直接いろんな人に助けられている。
たとえわずかでも何かの足しになればと
送った。

これは昨日の朝で
だから
昨日の朝は
かなり元気になれた。

おこがましくも
自己満足な
手伝わせてもらったという
気持ちになれたことに
とても感謝ができたからだ。


「氷点」と「続 氷点」のなかで
こころに残ったことばのひとつに

『愛は感情でなく意志である』とあった。

そしてたくさんあるなかでも

『人が死んだ後に残るのは、その人が集めたものでなくて、与えたものである』と

いうことばにも私のなかにうなずけるものがあった。


そしてこれは聖書のことばからなのだが

『たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために
捧げても、もし愛が無ければ、いっさいは無益である』

というのもこころに残った。ただ、

これだけのことを愛なしに出来る人が
いるのだろうかとも思った。


今日図書館に子どもを迎えにいったとき

ほんの1秒くらいだけど

何か今までなかったようなぐらっときた

感じがあって、そこに座らなければならなかった。


幸い、それだけで運転して家に無事に着いた。


命は、今生きていることは、本当に尊い。

命ははかなく、今生きていることは奇跡なのだ。


1年前に地震と津波で自分の家族が死に、または

行方不明になり、家が無くなると誰が考えただろう。


私たちは若くても、老いていても、家族を亡くしても

家を無くしても、つらくても、苦しくても


生き続けなくてはならない。


生きることは権利ではなく

義務なのだから。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-10 16:11 | 生きること