四七日 

今日で28日たった。

子どもと朝から私の唯一知っている「般若心経」をあげ
何かとお供えものをして一日が始まる。

また銀行とのアポ。

その後
彼の好きそうなチーズと
ワインとビールを買った。

夕食のときにも
チーズやワインや
食事をお供えして
子どもと3人手を合わせ
てからみんなでご飯を食べた。



昨夜はものすごく疲れていたのにも
かかわらず、お風呂に入った後
友人の置いていったビールを
飲み始め
違う友達にもらった痛み止めを飲むと
また

泣けてしまい
泣きながら
彼には英語で
母には日本語で話しかけた。

缶ビール1本でかなりくるけど
ええい、と2本目をあけ
もちろん彼には供えていたけど

ぐじゃぐじゃになり
その夜はなんとか1時間ごとに目が覚めずに
5時間くらいは眠れた。

これからは痛み止めとアルコールや!
と友達に言ってみせる。


でも今朝は
ネットで
ホイットニー ヒューストンや
スティーブ ジョブスの死因を
調べて色々読みながら

また答えを見つけることが
ない
「どうして?」
の世界に入り込んでしまう。



昨日友達と二人
バンクーバーへ中古の畳を買いに行った。
Ikeaにも寄りなんやかんやと家庭用のものを買う。

それでも今朝は
彼にもほしいと言ってよく話していた畳が
あるのに、もうどうでもよくなっている。

今は目先のプランを立てそれをこなすことに
意味があり、実際のモノたちを得たことに対する
喜びは自分でも信じがたいほど薄い。

きっとお金を使いまくりいっぱい買ってくるだけ
買ってくることができるだろう。
でも得たことに対しての充実感が欠けている。

それは家のローンが生命保険によって
なくなるような空しさに似ている。

以前は例え小さなものでも
少しだけ高めのワインでも
おいしいチーズも
一緒に喜ぶ人がいた。
28日前には。

今は反応のない空気や写真に向かって
話しかけるだけ。


でも、

やってもやらなくても
空しさは同じなのなら
目先のプランを立てながら
一日一日をこなすことだけが
今の私にできることなんだろうと
思う。

子どもが眠って
ひとりで
泣くときには
いつもは絶対言わない

「なんで?」
を何度も何度も繰り返す。

こうやって話していると
泣いていると
どこからか

映画やドラマでよくあるように
彼も
でてきてくれるんじゃあないかと
窓ガラスを凝視してしまうときが
多々ある。

母が亡くなったときも彼女の
霊がでてきて
私に話しかけてくれないかと
こころから念じた。

彼女は私の夢にさえ
でてはくれない。

母が亡くなったとき
すぐには感じなかったけど
自分のなかの一部が
死んだ。

それはもうどんな人やものや
美しい景色や素晴らしい経験でも
生き返らせることはできない私の
一部として死に続けている。

彼が逝ってしまい
また
私の一部は死んでしまい

それを感じている子どもたちには
すまないのだけど
わたしのなかの死んだものも
パパと同じように生き返りは
しない。

こうやって毎日私たち生きるものは
着実に死に向かってすすんでいる。

それだけは
本当に
平等に与えられる。

今日ももうすぐ終わり
また一日死に近づいている。
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by mi-chanlucalu | 2012-03-07 15:13