これでいいのか、Happily Ever After

・・・・そしてみんないつまでも幸せに暮らしました。 The end.

これは全てのディズニーのお話しの終わり方である。

リトルマーメイドではアンデルセンが書いた「人魚姫」も主人公の人魚は最後は泡
とならずにエリック王子と結婚までしてしまうとドラスティックなチェンジがある。
もし今アンデルセンが生きていたらこの結末を変えることに承知しただろうか?

だいたい映画とかでもハッピーエンドじゃないと観ない傾向を作っていたのはあの巨大な
アメリカ合衆国のお国柄ではないんだろうか。私はある時期から、あんまりにも予想が
できてしまいすぎるアメリカ映画に飽き飽きしてヨーロッパとか他の国の映画ばかり
観るようになった。

たとえばイギリスの映画ひとつとってみてもだいたい俳優、女優からしてリアルで
ビューティフルピープルが主人公でないのがほとんどである。そして内容もまったく
予想できない結末に終わるものもあれば、まったく日常生活のように何もなく終わる。

最近アメリカでもそういうびっくりするような(主人公が死ぬ)終わり方を作る人
もでてきたけど、そういうのは一部の人にしか受けないような気がする。

少し前に「かちかち山」を子どもに読んであげていた。すると内容が変えられている
のに気がつく。まず、たぬきがおばあさんを殺さなかった。そして最後はうさぎもたぬき
を殺さずにたぬきがおじいさんとおばあさんに謝りHappily ever afterなのだ!
本の最後に「内容を少し変えました」と補足説明があったけど、これでいいのだろうか?

私は「まんが日本昔話」を毎週土曜に見て育ったけど、あの一話15分のなかに色々な
学びがあったような気もする。すごい怖い話しもあったし、かちかち山ではやはり
たぬきはおばあさんを殺してしまうのだ。生きていくとはそういうことなのだ。
いつも死ぬこととは背中合わせなのだ。昔の人たちがお話を通して何か伝えようと
(それが無意識であるにせよ)したことを簡単に変えてもいいのだろうか。

マッチ売りの少女の話しを聞いて6歳の子どもたちは自分は少女のようにマッチを
売らなければお父さんにぶたれることもなく暖かなベッドで眠れることに少しでも
感謝の気持ちをもつのではないのだろうか。そういう貧乏な子供が現実の世界に
あふれている事実を感じるきっかけにもなるのではないのだろうか。

人魚姫はお姉さんたちが持ってきてくれた剣で王子様を殺さずに自分が泡になる
ことを選んだというその自分中心でないこころを考えることを与えれるチャンスを
結末を変えることでまったく失ってしまったのだ。

こういう元もとの話が子どもにとってはきつすぎると思う人たちは「死」は「悪」
なのであろうか?いつも悪者が死ぬというのもそういう偏った考え方の象徴の
ような気がする。ほとんど全てのハリウッド映画のように。

私が子どものときまだディズニーはリトルマーメイドを作っていなかったので
(多分)私はアンデルセンの「人魚姫」が泡になって消えていくことにすごく
悲しい気持ちになったと思う。お姉さんたちの剣をとってあのアホな気づかない
王子を殺してほしいとこころから願った。でも彼女は自分が泡になることを
選ぶことで王子への愛を守った。究極の愛のお話なのだ。

本当のお話の内容や結末を変えることでこの世の中が子どもにとってよく
なってきたとは思えない。子どもの数が(先進国では)少なくなって、子どもに
残酷さを教えないことが美とされるような傾向もあるのはちょっと過保護に
すぎるのではないだろうか。

私たちの中にある悪や無力感や死に対する気持ちやもっともっと複雑な
人間の意識はいつもいつもハッピーエンドのストーリーだけで語れない
のである。

それとも私が小さなことに細かすぎるのだろうか。
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by mi-chanlucalu | 2012-01-30 02:25 | 生きること