ポテンシャルと無心さ

もう11月も4日間が過ぎた。

私のヨガを教える練習も週一回で6回くらいを終え、先生に英語の発音や
コマンドワードをもちっとがんばりなさいと言われながらも、とても楽しく
やっている。できないことを少しづつでも克服していくのが好きなのだ。

そして、ここ1ヶ月くらいのみらとるかのやる気とやれることを
通しての子供の脳内に起こっている事に驚かされるばかりの毎日でもある。

いつのまにか、ひらがなで名前がふたりとも書けているし、英語のスペルや
もちろんアルファベットも名前は書けていたけど、それ以上も書けるように
なっている。 数字を習ったのか、家で何度も何度も数字を見ては発音
しているし、日本語学校の宿題では物足らず、もっと練習したいと言うので
紙をだしてやると、何度も覚えた字を書いていたり・・・。

あぁ~脳が吸収したがっているのか、それ以上のものが思い出したがって
いるのか・・・とにかく私の方がついていってるって感じでさえある。
 
私は親に「勉強しろ」とも「運動しろ」とも言われずに育ったので、彼らにも
何も言わない。っていうか、幼稚園へ行くのさえすごく行きたくないなら
行かなくていいやって思っていたくらいなので、彼らの覚えぶりを見て
5歳の子供の脳ってすごいと感じずにいられない。

るかにしてみれば、幼稚園にしろ日本語学校にせよ「いきたくない」と申すわり
には、やるべきことをあんまりみらと変わりなくか、かえって実羅よりも
うまくやっていることが多い。

そういう彼らを観察していて、他方のお母様たちが子供にいっぺんに色々
お稽古事をさせるのも理解できるようになった。だって彼らにはできるんだ
もの。(ただ経済的な問題もあるよね。こればっかりは)

彼らは小さいからだに無限の可能性を秘めているのだ。

そのうえもう少し大きくなったら思うような「こんな数学なんてしても
将来何の役に立つねん?」みたいな結果を考えずに、ただやっている。

いいなぁ~!!!大人もこうでありたいよ!!

なのでやはり私は自分の子供から学んでいるんだ。
たまたま読んでいたバガバットギータの一偏にもそのことに触れていた。

とりあえず与えられた、またはじぶんが選んだことを淡々とやりこなしていく。
そしてそれが楽しければ問題ない。結果に束縛されない。
彼らは騒がしいようでいて本当は、時には、大人より静寂なこころを
もっているのではないのだろうか。
つまり、子供のことをよく「無心な」と言うのだけど実はそういうことなの
ではないのだろうか。

私も「無心」なころがあった。
そして知識や経験や記憶やらが「無心」を追い出してしまった。
今、ある意味で「無心」な時間を作るためにヨガをやっている。

こどもたちよ
無心でいて
でも、あなたたちがそのことを忘れたとき
わたしがまだそばにいられたら
きっとあなたたちはこうだったと
教えてあげられるから
そのときまで
わたしのいのちが
あなたたちとともに
つづきますよう・・・・
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by mi-chanlucalu | 2010-11-04 13:07 | 生きること