夢分析 未来へ

化学薬品のひとつは赤色をしている。
そのために1週間くらい色のある尿がでる。そしていやな匂いもする。
ものを食べていないととても匂いに敏感になる。
その敏感さは異常で匂いがまるで粒子のようにかぎわけられる。
ものの一つ一つに匂いがする。

科学薬品のもうひとつは投与中に鼻にくる。むずむずというか変な感覚。
私はそのつーんとするような鼻の感覚がどうしても好きになれない。
そしてその感覚は最近までつきまとう。暖かいリビングルームにいても
鼻だけがどうしても冷たい。いやな感じがよみがえってくる。

あの夢はなんだったのだろうと考える。
これは全くの私の個人的な分析なのだけど、夢の私もカイもお腹の子も全部
私自身なのではないのだろうか。そしてあのメタリックなすごい速さで飛んで、
私の顔あたりをぶんぶん襲ってきたのは抗がん剤であるとする。私はお腹の中に
未来の自分を抱えている。だから彼女を出産しなくてはいけない。カイは今の自分
である。傷ついておまけにずぶぬれである。誰かの介護なしではやっていけない。
助けを求めている。私はあの科学的に作られたメタリックなルアーの虫とも魚とも
鳥ともいえない物体を抹消し、ドアから中に入り、パースを取ってきて、
カイを助けて次のバスに乗らなくてはならない。そして元気な赤ちゃんを産まなくては。


科学治療を続ける必要は私にはもうなくなったのである。


それは苦しいからだけでなく、自分なりにある「意味」のようなものを見つけ出した。
それは(悟り)なのかもしれない。悟りというには恐れ多いような気もするが。
つまり「分かった」からもう必要ないのである。

友人の一人に「止める」と言うと、「じゃあサンドラは・・・」となった。
彼女の言ったことは予言ではない。私にはそれが分かっていたし、サンドラに
言われたからまた続けようと思ったのではない。そして今回がまた同じように
苦しくつらかったので彼女の言ったことが当たっていなかったから、というような
理由からでもない。彼女は何を言ってもいいのである。そして当たっていても
はずれていてもいいのである。選んで彼女の言うことを聞きにいったのは私である。

選ぶのはいつも自分なのである。だれの言動のせいでもなく。

手術をすることや、抗がん剤を2回することは私の人生のブループリントに
入っていた。それだけである。私は選んでそうしたのである。
そしてこれを止めることもしかり。

私にとって全てを受け入れることが今回必要だった。全てというのは、神がかりを
求めての日本への旅や、東洋医学で育ってそれを信じてきたことや、西洋文明が
生み出した医学や科学による主に数字の上で証明されたものによる治療。

それら全部を聞くのみでなく体験しなければならなかったのだと思う。

あまりにもあふれかえっている癌に対しての本やネットによる情報。
その情報の多くは、調査や研究にもとづくものが多い。書いた本人が自己の経験を
通して科学治療を批判しているものは少なかった。私の印象は東洋医学は西洋医学を
非難し西洋医学は科学的証拠がでていないものに対して受け入れられていない。

もちろん、それも少しずつではあるけど変わりつつある本もたくさんでている。

ただどの本もそれぞれ個人の信条による勧めであるにすぎない。

私の周りの人たちの言うこともそれぞれである。
今回、このことに対して何度か「弱い立場、つまり病気になって初めて本当の友が
分かる」ようなことを書いたのだけど、それは全てのおかれる言動を含めるものである。
こういわれたからこの人は無責任な人なんだ、というものではない。
私はその言動について自分を深く学べることができた。
今度、自分の周りに弱い立場の人が現れたらどうするかがよく分かったのである。

私が得た中の大きなものは、自分の中に沸き起こる感謝の気持ちである。
たすけられる立場になって、人に頼ることを学んだ。今まで自分の直感のもとに
やりたいことをやってきたと思う。自我だらけだったのではなかろうか、とも思われる。
ヨガを学んでいると言いながら、ヨガをやりたいのは執着ではないだろうかといつも
疑問に思っていたりもした。
でも本当に動けないようになって、救いの手が差し伸べられたとき言いようもない
感謝の気持ちがあふれたのだった。それはとても満たされた幸せである。

今回前にも述べたが、ママ友たちが小さなチームを結成して週に2回食べ物を
差し入れしてくれた。交代で当番を決め、夕食のおかずや手作りのパンや、とにかく
私たち家族を助けようとこころからの行動を起こしてくれた。驚いたのは、あんまり
付き合いのない数人の人たちが遠方からも手作りの差し入れをデリバリーしてくれる
ことである。私だったらそのチームに入っただろうかと思う。それぞれに小さな子供が
あり、仕事をもつ人もあるのだ。それなのに電話をくれたり、メールをくれたりして
何か食べたいものはないか、何かできることはないかとチェックしてくれる。

私はこの人たち全ての行為にこころに涙がとまらない感謝の気持ちが沸き起こる。
そしてこの感謝の気持ちをもたらせてくれたことにまた感謝をせずにいられない。
ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう ありがとう

みらは2度目の治療のときからかなり頻繁におもらしをして、毎晩おねしょを
するようになった。寝込んでいる私を何度もチェックしにきてくれる。
寝込んで、おまけに毛がないママを今までのように愛してくれるのだけど
きっと小さいので全てを表現できない彼女はおもらしやおねしょという形で
対処したのではないだろうか。みらの私をハグするときの目をみると、早く元気に
なってもっと楽しませてやりたいと思う。彼女の敏感さには本当にいつも驚かされる
ものがある。

それでもかなり平静を保ってくれたルカも毎日私の頭を見ては「なんではげなの?」
と聞かない日はない。はげでおっぱいがひとつなくても彼らの私への愛は変わらない
のはありがたい。

それでは西洋医学なり抗がん剤治療を否定するか。否である。

私がただもうしないことを選ぶだけであって、それはとても大きく存在し続けるだろうし
薬品会社はお金を儲け続けるだろう。医者はBusyであり続けるし、病院はいつも
人であふれているだろう。

どう治療したいのかはそのひとの信条による選択があるのみである。
どう生きたいのかが人それぞれの選択価値によるように・・・・

私は何も憎まない。非難しない。全てが私のために今の私を作っている。
全ての存在に、見えるもの、見えないものにこころから感謝したい。
そして感謝し続けたい。
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by mi-chanlucalu | 2009-12-16 03:46 | 乳がんをめぐる