生きていくこと 意識の変革

長いあいだブログを更新していなかったので
兄から電話があったりしました。心配してくれてありがとう。

8月は今までのどの8月よりも早く過ぎたような気がする。
最初の3週間は週4日でゆわんくんのデイケアをやっていたの
彼の昼ねのためにあまり人とも会わなかったこともあり、自分の時間ができると
ヨガの呼吸法や瞑想などをやっていた。
だから、殆ど自分の乳がんのことを話さずに過ごしてきたと思う。自然にであれ、
わざと避けていたのであれ・・・。

だから検査の当日は久しぶりに心臓がどきどきした。
でも思ったような結果は全くでずに、超音波をする人、その新しいマシンの使い方
を教える人、それを習う人がいたりして、結局真剣に腫瘍の大きさを測るとか
比べるとかをしていなかったように思う。私が尋ねなければ何も言わずに返された。
でもどうなっているのかを聞くと、あいまいな返事しか返ってこなかった。
多分前の結果とは比べていないのだろう。そして私に張られた「乳がん患者」の
レベルがあるのでそんなことは新しいマシンの使い方に比べるときっとどうでもいいような
印象を受けた。「あなたは明日ドクターに会うのでしょう?」が彼女の最後のことば
だった。

Dr.Hayashiはとても静かないい人だった。日系人なのだろうけど、そんなことは一言も
言わずに問題の用件だけを話し、話しを聞いてくれ、質問に答えてくれた。
彼には前のDr.Dにはないものが見受けられたように思う。謙虚さのようなもの。

この1ヶ月とちょっとのあいだに鍼灸に通い、本を読み、子供の世話をしてきた。
あまりに平和で元気で幸せだったので「このまま手術せずにいけるのではないか」と
「もしかしたらもう腫瘍は少しくらい小さくなってるかもしれない」というようなことばかり
考えていた。だから検査で何も変わっていないことが分かると、脱力感のようなものがあり
かなり疲れた気分になった。

そのうえDr.Hayashiに会い、その後パパと話しを少しして(本当に全くといっていいほど
二人で乳がんのこれからについては話さなかった)彼の抑えていた気持ちがどんどんあふれ
でそうになるのが分かった。

私は彼のストレスのひとつになっている。乳がんであるだけでも彼には(多分私よりも)
こたえているのに、手術しないでやっていくと言う案には耐えられないのだろうと思う。
あまりにも他に例がなさすぎるのだ。

自分自身、昨日の夕方ものすごくしんどくなり、夕食を作るの気が起きず、
テイクアウトにした。

この1ヶ月、自己治療しようと思いながらもドクターとの面会をキャンセルする決断が
起きなかったのはパパや日本にいる家族のためだけではないのはこのしんどさが
物語っているような気もする。

実はヨガのTeacher Trainingを中断している。日本にいるときから、ヨガを一生懸命する
ことが実は自分のエゴではないのか、と考えていたし、もし自己治療に専念するなら、
その両立は難しいのではとも思っていた。

ただ、手術をするかしないか、そろそろ決心しないといけなくなってきた今日の朝、
ヨガの勉強が懐かしく、戻りたい気持ちが強く湧き出てきて、自分の先生に電話しようか
と思った。少しでも早く戻るには少しでも早く癌を治すことである。なんせ先輩の先生からは
殆どのポーズをやるのを止められている。自分にエネルギー、免疫力を蓄えるための
静かなポーズのみ許されているので、今までやっていたアドバンスのクラスにはいけない。
制限されてはいるものの、からだがほしがるときは何度が一人でやっていたけれど。
(だって元気なんだもん)
自分が長いあいだ、やりたいとあたためてきたヨガの先生になるという考えを、考えに考え
決心して、やっと今年の1月から始め、たったの5ヶ月やって手放すのはつらい。

もちろん、自分で勝手にエゴを捨てたと、ヨガをやらないことで、家族のためになって
いると考えるのもエゴなのではなかろうか。そして、そんなことくらいで意識を変革したと、
その第一歩だと自己治療の道に向かっていると思う方が傲慢なのかもしれない。

昨日でた「疲労」はやはり私に何かを語ろうとしている。
自分の内側の声に耳をすませなくてはならない。

今日、久しぶりに友達に会って、自分の気持ちを話してみた。
あんまりストレートに話しができるのは子供がまわりにいると不可能に近いなか
なんとか、少しは気持ちを外にだすことができたと思う。
だからこうやってかたちになってブログを書く気持ちが起きたともいえる。

手術をしてもしなくても自分が変えていったことや学び続けていることは変わる
ことはないだろう。

There is no short cut

手術をしたからといって、もう前と同じような意識、食事、ライフスタイルにもどることもない。

8月のあいだに瞑想やビジュアライゼーションをしているときに、自分のからだとこころ
がひとつになって「手術をしなくても大丈夫」と言ってくれているような気が続いた。
そんなときに話しをした友達とかには(多分数人)手術をしないでやってみようという
オプションも考えていると話したりもした。

今、からだと気持ちのどこかが
「もう、がんばらんでもええやん。できることがあるんやったら切り取ってすっきりしてみても
ええんかもしれんよ。」と言っているような気がする。

私の大事な友人の一人がメールで「整合性」、つまり自分のなかで納得してものごとを
行うことの大切さを語ってくれた。もちろん、それはまさに私が求め続けていることであり
そうありたいと常々思うことの一つだ。「刷新」も彼女からもらったことばで、「変な
波動やエネルギーが固まって何か形をつくってるのなら、それを取り出すことで刷新できると
・・・・・」実はそのときは彼女には言わなかったのだけどこのメッセージは本当にこころに響いた。

でこ母も昨日、まさに電話しようかと思っていた昨日に電話があり、とてもうれしく
元気な彼女の声を聞いていると、やはり守られていると思え、さらに「笑うことは大事」と
のメッセージは、これも正に私が最近よく思うことであり、こんな状態でも人を笑わせ
自分も笑えていることにいつも幸せを感じていられたと思う。

とりあえずどこかへ向かっている。
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by mi-chanlucalu | 2009-09-02 06:56 | 乳がんをめぐる