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ここ最近、みらとるかは近所のインド系カナディアンの
女の子たちとよく遊ぶようになった。 自転車を家の周りで私なしで乗っていいことから始まって かなりよく行き来するようになった。 成長のひとつ、だね。うれしいようなさみしいような・・・ ![]() ![]() 今日みそがきれていたので
今月で11ヶ月になる初の手前味噌で味噌汁を作った。 ![]() じゃぁ~ん!! どんと乾燥大豆2Kgで作った味噌!! そしてお味は・・・・なんとおいしぃ!! こどもたちもちゃんと食べてくれました。 元気ですか?
FBにちらっと書きましたが、日本へ2ヶ月行くことにしました。 本当にこの決定をしてチケット今日購入するまで迷いました。 迷ったというより、自分がなぜ、どういうふうに日本へ行き、 戻ってきてからどうするのかをはっきり自分のこころのなかに 方向性のようなものが浮かぶまで時間がかかりました。 はじめは様子見で行って、集中治療もいいなぁとか、でも 子どもたちをどうしようと考え始めたら、もうなんかあんまり 日本へ行くことに魅力がなくなり、ストレスがいろんな人や 自分やそして子どもたちにたまるようなものならそれですでに 治療じゃないと思い、立ち止まってました。 でもある日、 「結果をもとめに行くんじゃない」というインスピレーションが沸いて ただ「日本を楽しもう」と思い始めるとすごく楽になり なんとなく、しぶしぶ航空チケットとかを予約しようとして 日を決めたり、変えたり、これは時間がとか、この日は高いし とかうだうだとしていましたのに、今日はっきり日を決めて Visaで支払うとすっきりしたのです。 私の大好きな叔母が私たちを待っていてくれるという、彼女と 電話で話したときに一言「やっと話ができる」と言ってくれた 叔母に会いに行くだけのたびでも価値があるなぁと思いました。 そして今着実にすすみだした自然療法を日本で崩さないよう あくまでも『自分で治していく』態度を持ち続けていれば 何があっても受け入れられると思うのです。 つまり、今回はとくに、自分がこれと思えるクリニックに 治してもらいに行くのではないという気持ちが 自分の中に沸き起こったとき、日本へ行く意味が見出せ たような気がしています。 Inner peace、 こころのうちの平穏は場所がどこであろうと 変わるものでなく、それを持ち続けることで何かが見えてくる。 泥水をいくらかき混ぜても底に落ちたものは見えない のだけど、待って時間がたてば泥は沈み、水がクリアになります。 そのときに初めて落し物を見つけることが出来るのでは ないかと思うのです。 私が今回時間をかけたのは、何かにすがって、たすけを求めて 行動してもどうなるんだろう?と自問自答していました。 すべての答えは自分のなかにあるのに。 だから、今すっきりして『楽しむため』 『笑うため』 きょうだいや親戚との時間を過ごすために行きましょう。 そして、みらやるかも今までにない長い日本を経験して きっといい思い出ができることでしょう。 なんとなく、チケットの仮予約をした3日前から眠りが変になり 毎晩夜中に目が覚めます。1時半とか3時とか。 それですぐに眠れなくなり、今本当に睡眠不足です。 今日チケット代を払ったしきっとよく眠れるだろうと思います。 それではくれぐれもみなさんもからだを大切に。 まだ寒いカナダより 私の治療生活はハワイから戻ってからどんどんくっきりと
日に日に濃さを帯び始めた。 まず最近届いたびわの種の粉末をいったいどれだけが限界なのか 知らないけどがんがんとって、私の第2の大切なお母さんに送って もらったということもあって、ついたとき「もうこれで大丈夫」とか 思ったし、今も、「これで癌は消えるな」と思いながらびわの種茶も がんがん飲んでいる。どっちもくせがなく飲みやすい。 実はびわの木を買ったと言う情報が手に入りさっそくそこで買った っていう果物の木の市場にいったけどNO Luckだった。 ただ、後で実はそこではないと聞いて、まだ次のところへ行っては いないけど。 びわにはビタミンB17がものすごく含まれていて、そのアミグダリンが 癌細胞を消してしまう力があるそうだ。末期の人がびわの種を朝晩 かりかりかじっていたら1ヶ月で癌が消えたという報告がある。 そいで、何年か前にアメリカさんがアミグダリンを使って色々研究したら まあ、アメリカ国立癌研究所たるところは、「だめだ、だめだ」と いったわけだ。毒性があるとかどうとかね。 また沢山あるなかの癌に効くものはつぶされる説だ。 でも、日本は科学的証明されなくても、医療で使われてなくても びわグッズは手ごろな値段で手に入る。 実際、びわ信仰たる人もいるそうだ。ちなみに私の友人の母はみきプルーん 信仰者。 うううぅ。もっとびわグッズがほしい。なんといっても生の葉がほしい。 そしたらびわの葉温灸ができる。 でも東条百合子さんの「自然療法」という本のなかの手当て療法の生姜湯湿布を昨日かなり痛かった腰に 試したら、本当に楽になった。あ~幸せ。 実はこの本やびわのことは、ハワイに行ったときに、出合ったある日本人女性から得たもの。 それを彼女は私のでこ母へ送り、もう母は即座に送ってくれたというわけ。 そもそも彼女と出会ったのは私とでこ母が関西弁をしゃべっていたからで、彼女が話しかけて くれた。私もけっこうであった人をすぐ家によんだりするほうだけど、彼女にもよばれたので 行ってみた。そして彼女のだんなさんが心臓を患ったことから色々話しが始まり、私の今 ぶつかっていることも話しした。彼女からは「げんきをもらえた」と感謝されたけど、私も 彼女にとても感謝している。 人生に偶然はないといつも確信している。 もうひとつ、私がかなり目をきらきらさせていることは「春ウコン」。こういうのを読むともうだんぜん 力が出る。 どうしていつも本物はつぶされ、科学での証明だけが世間で認められ続けるのか。 そうじゃなくなる日がきっとくるけど、それが大人になること、お金持ちになることなら、 これからの子どもの教育次第でかなり変われるんじゃないかとも思ってしまう。 遠赤外線サウナも買いたい。 今は今までやっていた半身浴はもちろん毎晩のこと、一日最低3回の足浴や湯たんぽなど 体温をあげることも自然療法のひとつ。今日はかなりよかった。 寒かった日にも関わらず、だいたい36.7から午後は37度をキープしていた。 こんにゃく湿布もしてみた。あったかいと気持ちいい。 子どもたちも足浴もファンで、こうなったらかわいいバケツ買おう~っと。 もちろん、今までどおりの発酵食生活はつづいている。発芽発酵玄米は もう多分1年くらいになる。コンブチャも、もう3回目のバッチを飲んでいる。 これはおいしくできた。ラズベリー入りを作ったけどかなり酸っぱくなった。 ためしに玄米黒酢を買って薄めて飲んだけどすごく似た味だった。 その他書き出すときりがないので、やめとく。 それに他にもプランがあるしね。 治療生活も楽しい。実際人体実験を自分でしているようなものだ。 痛みがどうやってくるかは分からないけど、その動きを観察するのも 治療するのも自分を知ることのひとつだ。 昨日から切り込むように左の肋骨が痛み始めた。 息をしても痛いくらいの痛さだったので今朝こんにゃく湿布をして ブルーレイライトを30分くらいあててみた けど、なかなか痛みはひかず、たまたま鍼灸のアポがあり そこを徹底的に治療してもらう。かなり楽になったけどまだ痛い。 明日にはもっとひいているとは思うけど。 さてさてこどもがもうかなり長いことお風呂で遊んでいるので ださねば・・・・。
20日に戻ってからコンピュータと熱い仲。
いい加減開放しないと、と思いつつこの4日間。 かなり今までにないくらい長時間密接だった。 こどもが延々と二人で楽しく遊ぶのをいいことに 読む、書く、調べるの連続。 そろそろいやにもなってきた。 昨日はちょっとそれでさみしくなった。 誰もしゃべる人がいない・・・。 友人に電話。10時ごろ。 彼女からも実はがん治療に対する情報を得てしまう。 感謝。 探し物は今日は見つからなかった。 でもきっとそのうちもっと動きがあるだろう。 私ももっと動き出すのだろうし。 チベット生と死の書より 現世ー生のバルドからの抜粋 《神々の生の質はわたしたちの人間のそれにまさっているように思えるかもしれない。だが師たちは、人としての生こそ比較にならないほど貴重なものだという。なぜか? なぜなら、わたしたち人間は悟りの素材となる気づきと知性をそなえているからである。 人間世界に満ちみちている苦しみそのものが、わたしたちに精神的変容を迫るからである。 痛み、悲しみ、喪失、やむことのないさまざまな落胆。 これらは本物(リアル)で劇的な目的のためにあるのだ。 わたしたちを目覚めさせ、輪廻の輪を打ち破ることを可能とし、むしろ強いて打ち破らせ、閉ざされた輝きを解き放つという目的のためにあるのだ。 この人としての生がかけがえのないものであり、思いもよらない潜在的可能性を秘めていることを、すべての宗教的伝統が力説してやまない。 今のこの生があたえてくれている変容の機会を逃すと、次にその機会を得るまでにどれだけの時間を待たねばならないか知れないのだと、それらの伝統は語る。 盲目の亀が一匹、宇宙と同じ広さの海の深みを漂っている。海面には木の輪がひとつ、ぽかりと浮かんで波間に揺れている。 百年に一度、亀は水面に顔を出す。人として生まれるということは、水面に上がってきたその亀が偶然木の輪のなかに首を突っ込むよりも稀なことなのだと仏教は説く。そしてさらに仏教はいう。 人としての生を受けても、教えに出会うという途方もない幸運に恵まれる者はされに稀だ。 そのうえ、教えに出会っても、それを行為として体現するほど深く参入するものはそれ以上に稀だ。 「昼間に見える星」ほどに稀なのだ、と。》 私が今むきあっていることは正に、リアルで劇的な目的のためにあるとしか いえないと確信している。 各自の精神的変容なしで進化はできない。 人が生まれてくるのが、今生きていることが本当に奇跡だと気づいたのは 乳がんが診断される前だったけど、実際それをこの3年ひしひしと感じながら 生きてきた。その気持ちが最近さらに深くなる。 すべてにまさに全てに意味があるのだ。 再会があり
出会いがあり 学びがあった。 癌が骨に10箇所以上転移しているのを知りながら ほとんど治療というものをせずに、ただ今後を考えながらの たった10日の旅。 痛みはいつも私が癌だといういうことを リマインドしていたけど、子どもや友人と共に全く考えない 瞬間を増やすことに専念していた。 彼の不在をふとしたきっかけで感じるときはあったけど 彼の灰をあの信じられないハワイアンブルーの海に撒くこと もイルカとかなり近くの距離で泳げたのも全て なしとげることができた。 子どもたちはもちろん彼らの友人との日々や海やその他の 色々な出来事を楽しんだけれど 昨日カナダに戻って、3年前日本から戻ったときのように 自分の家と自分のおもちゃたちと延々と遊んでいた。 おうちがいい、おうちがすきと何回が言いながら・・・・。 ハワイもいいけど、おうちもすきって言うコメントもあったなぁ。 亡き人のことと癌の転移の現実にさらされながら、私は今までとは 全く違う南国のたびだった。これでまた 『すべては自分が起しているという』真実に触れずにいられない気もした。 もちろん、子連れであることや全く知らない土地を初めてレンタカーで 毎日ドライブしたことでかなり疲れていたので戻ってからはとにかく 眠った。 子どもたちは今日も相変わらず二人で延々と遊び笑い楽しんでいるので 私も簡単な夕食を作り赤ワインを開け、音楽と踊りながら楽しんだ。 あしたはなにする? がみらの寝る前のよくある質問。 さあ、あしたも楽しいことをしよう!でもとりあえず寝てから。 子どもたちは学校へいっていない。 ホームスクールというものでさえ全くである。 彼らは今はアンスクーラー。 自由そのもの。 何か勝手に学んでるみたい。 それもよし。 ![]() ![]() ![]() コメントないやん~!!の前の『手紙』からのみなさんの反応ありがとうございます。
あれは、メインとして日本に住む家族、友達にあてたものなのですが、 地元の方のそれなりの思いがとてもうれしく響きました。 声をかけてもらわないと分からないんです。 どう頼っていいのか、っていうのも。 だから私は自分の思いをブログにしているんだと思うのです。 そうやって私のことを知ることが自分自身を知ることができると同時に みんなに私のことを知ってもらうためかもしれません。 私は今本当に、ある意味において自分が信じるものは自分の直感が 信じるものは何でも治療として試すことを実践しています。 あまりにもあるあふれる情報のなかで、私がすすまないのはきっと 西洋医学だと思います。 癌ということばに長いあいだ呪縛され続けていて、それでも本当のことを 知らず、か知ろうとせず、ただ洗脳された意識と少ない知識のままでは ならないのです。 私のいわゆる(克服)を願う人は、真剣に本気でその意識と無知を捨て 本気でいったい癌とは何なのか、この機会に考えてください。 生とは、死とはいったい何なのか真剣に問いただし、その答えを色々な ものの中に見つけてください。 それが私を通してあなたに贈れる今はたった一つの、それでも大きな プレゼントかもしれません。 私は骨スキャンの日にハワイ行きを決めました。 もうそのときに骨に何か見えたことは知っていたからです。 子どもを連れ、友達たちといってきます。 二つ理由があります。 ひとつは、パパの灰をあの暖かい、彼と私がいつか住みたかった 南の国の海に撒くためです。 もうひとつは イルカと海に自然に泳いでいる野生のイルカと泳いできます。 この案はパパが完全にこの世から消える前に自分のなかにありました。 続く痛みに、癌が原因かもしれないという気持ちがあったときに 一冊の本と出合いました。 『おーし、イルカと泳ぎに行こう!治してくれるよ』と彼と話したものでした。 彼は冗談で『カイが癒してくれるよ』と言って笑い、後でごめんと後悔していた ことを思い出します。 パパ、イルカと本当に泳いでくるね。 私はまた、ブログを通してある人の乳がんの治療の仕方から わくわくすることも学んでいます。 私がいったいどうやって沢山の箇所に広がっている癌を治していくかは 本当に知りたい人、本当に私がその人に話したいときだけ 話すこことにします。 ブログに詳しいことを書くことは今のところ予定していません。 私は強くありません。 あなたの念がいるのです。 私にその念を送り続けてください。 幸せの念を。 それでは今日はこの辺で。 私は元気でやってます。
日本時間はエイプリルフールなのできっと嘘かと思うかもしれません。 でも本当なんです。 免疫力アップのため、とにかく笑うようにしています。 すべてに感謝をしています。 すべてを愛したい、愛するようにしています。 自分の最愛の人を亡くして、笑おうなんて、無理を・・・と 思うかもしれません。でも本当なんです。 彼の四十九日の法要を浄土真宗のお坊さんにしていただきました。 彼は法名もいただき、 『智海』となりました。 とても合っています。私がほんの3行くらい彼のことを説明した だけで、こんなに合った名前をいただけるとは、きっと彼も喜んで いることとおもいます。 海は仏教では慈悲を表すそうです。 彼は本当に愛の深い人でした。 そして智はもちろんWisdomです。 さて少し話しがそれましたが、なぜ私が笑いたいか こういうことです。 乳がんの骨転移は何箇所かにあり、それは検査のときから予想しては いたものの現実に診断されるとショックはありました。 でもショックに沈んでいる時間はないのです。 もういっぱい泣きわめいたし、食べなかったり寝なかったり 変なものだけ食べていたりしました。 そんな感情に浸っている暇はないのです。 『どんな治療をするって言われたの?』とかっていうのは 間違っても聞かないでください。 私は今深いところにいて、そういう話しを長々と個人的にする時間もないのです。 ブログに今書いていたり、フェイスブックに載せたのはそのためです。 人との話題だけに終わらないでください。 今度はちゃんと治療(西洋医学/キモ/放射線) するんでしょう?と言わないでください。 それがあなたにとって、そしてなんにんかの人にとって 信じているものでも。あなたにそれが100%の可能性のあるものと 自信があるのでなければ。 もしそんな時間があるのであれば、 癌のことを調べて読んで私に何が必要か考え 智慧をください。 笑わせてください。 免疫力をあげる薬草をください。 愛をたくさんください。 私は私なりにやっています。 もう泣いている暇はないのです。 私は癌に感謝しています。 癌にならなければ分からなかったことは本当に山ほどあるのです。 そして、今やっていることも癌でなければそうしていないかもしれません。 何も苦痛はないのです。 何も不公平でないのです。 これがただ単に私に与えられ選んできた人生のひとつに過ぎないからです。 私たちの誰もいつかは死にます。 癌になることでそれをまた深く考えられます。 真剣に生きることを学びます。 私はだからといって諦めているわけではないのです。 何度もこのブログに書いているように、一瞬一瞬を生きるのです。 なかなかできることではないのですかそれをいつも頭において おくのです。 そして自分の信じる道をすすむのです。 それをするには本当に無駄にしている時間はあんまりないのです。 焦っているのではなく、ブログをかなり更新しなかったのは 落ち込んでいたわけでも悲しみに拉がれていたわけでも ないのです。ただブログを書く時間でさえあんまり意味がないような 気がしてきています。 私はこう書きますが、やっぱり何のコメントもないのはさみしいよね。 笑 、いやまじで。 読んでるって会ったときとかに言われてもね。 笑。 だからもうやめるかもしれません。 そういうわけなので 私のことを考えるときに何か声をかけてください。 電話でもメールでも。 その愛はきっと私のエネルギーになります。 私のブログがなくて、 心配な気持ちが少しでもあるなら 連絡してください。 私はいつもあなたのことを想っています。 いつでも泊まりに来てください。 沢山で笑うともっと免疫力がアップするらしいです。 こころより愛をこめて
おとといの晩
ふっとつけたJapanTVで 震災から1年での特集をやっていた。 ボランティアの消防団員二人のインタビュー。 一人の人が 「自分の奥さんが生きていれば何もなくなってもなんとかなる」 と当時思ったことを話していた。 そして、彼の奥さんと子どもは無事だった。 もう一人は団長をしていた人。 彼の奥さんと娘さんは亡くなった。 でも彼は 「自分は納骨までできたらね、他の人(からだも見つかっていない遺族) 申し訳なくて・・・」 と語っていた。 私の涙はとまらなかった。 でも いい涙だったと思う。 その夜 多分これは想像だけど私の無意識が動き 朝になるころには「こうしよう」というひとつの 行動が生まれた。 オンラインで あしなが基金に寄付すること。 この基金は日本の孤児、世界の孤児 今では1年前の被災地孤児のための 募金活動などを行っている。 海外からでもVisaで寄付ができる。 私は今直接いろんな人に助けられている。 たとえわずかでも何かの足しになればと 送った。 これは昨日の朝で だから 昨日の朝は かなり元気になれた。 おこがましくも 自己満足な 手伝わせてもらったという 気持ちになれたことに とても感謝ができたからだ。 「氷点」と「続 氷点」のなかで こころに残ったことばのひとつに 『愛は感情でなく意志である』とあった。 そしてたくさんあるなかでも 『人が死んだ後に残るのは、その人が集めたものでなくて、与えたものである』と いうことばにも私のなかにうなずけるものがあった。 そしてこれは聖書のことばからなのだが 『たとい、わたしが自分の全財産を人に施しても、また自分のからだを焼かれるために 捧げても、もし愛が無ければ、いっさいは無益である』 というのもこころに残った。ただ、 これだけのことを愛なしに出来る人が いるのだろうかとも思った。 今日図書館に子どもを迎えにいったとき ほんの1秒くらいだけど 何か今までなかったようなぐらっときた 感じがあって、そこに座らなければならなかった。 幸い、それだけで運転して家に無事に着いた。 命は、今生きていることは、本当に尊い。 命ははかなく、今生きていることは奇跡なのだ。 1年前に地震と津波で自分の家族が死に、または 行方不明になり、家が無くなると誰が考えただろう。 私たちは若くても、老いていても、家族を亡くしても 家を無くしても、つらくても、苦しくても 生き続けなくてはならない。 生きることは権利ではなく 義務なのだから。
彼が逝ってしまう前に読み始めた本を
いつからか読み始め 昨日読み終えた。 「氷点」で作者は三浦綾子。 彼女の本を読むのは全く初めてだった。 そしてこの本たちは自分の意志で選んだのでなく 友達によってやってきたのだった。 実は自分で選んで日本からオーダーした本が やってきたときにはまだ本を読む気力もなかった ので、それを読みたい友人に貸してあげた。 でもまっさらのその本たちが去ってしまうと なんとなくさみしくなり彼女に読み終わったら 早く返してね、と言ってしまう。 その間、 また「氷点」を読み始めた。 話のなかの主要人物が命をとりとめるシーンと いうのが分かっていたので もう読みたくないな、と思っていたけど 読み始めるとその内容や 死生観にたいすることばに 読み続けずにいられなかった。 私が選んで日本からオーダーしてまで 読みたかった本たちは なぜかまだうまく読むことができずにいる。 なんとなくその本の伝えたい内容が 分かるだけに、 今の私にはすらすらと読めない。 もし誰かが 「ほら、宇宙のこの大きさに比べたら 人間の人生なんて・・・」って言ったときには やっぱり その人を張り倒してやりたいと思うだろう。 その本はきっとことばは違うけど そういうとても (例えば地球が私ら次第でもっと 生まれ変われるんだみたいな) 素晴らしいことが書いてある本なのだ。 と思う。 不思議なもので本というものは その人それぞれにタイミングで やってくるような気がする。 自分で選んだ本よりも 友人からなんとなくもらった本が こころに響くことばを見つけることが できた。 畳を購入するたびが終わってから かなりひどい脱力感と疲労の日々が 続いている。 今日また本を読み終えてから いっそうひどいむなしさと 疲労と脱力感のなかに浸っている。 昨日、今日と全くどこかへ行く気分に なれず行ったらそれだけで疲れてしまう。 眠りは相変わらず浅く そんなに アルコールも毎晩飲む気分に なれない。 いっそのこと 狂えたら 楽なのかもしれないけど きっと それができない星に生まれて しまったのだろう。 毎日の 楽しみというものが 全くない。 以前は 「今日はなんの楽しいことをしようか」と 口に出して言っていた。 掃除機は壊れ 家の掃除もする気がない。 家にずっといると カーペットの汚さにもなれた。 掃除機を買いに行くのも おっくうで また 選ばないといけないのが 面倒だ。 カイは今日散歩へ行かなかった。 誰からもオファーがなかったし 誰かに頼むのが面倒だった。 幸い天気がよくて 庭には出してあげたけど 申し訳ないと思う。 子どもたちもどこかへ行きたいと 何度も訴えてきたけど まあ、最後には諦めたようだ。 それでも なんとか 一日が終わった。
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